スピリチュアル・インタビュー (03)

スピリチュアル

日時:2008年8月15日15:00~16:30
インタビュー&タイプ: せんむ
インタビュアーBlog: 専務ノート http://senmunote.cocolog-nifty.com/blog/
編集:八雲

■アセンション

―:まず、アセンションって何なんでしょうか。

八雲:アセンションと言ったときに、どのアセンションなのかという問題が出てくるんですよ。

―:色んな次元があるということですか。

八雲:色んな次元じゃなくて、キリスト教で言ってるアセンションと、スピリチュアルで言ってるアセンションって意味が違うんですよ。

―:そうなんですか、概念的にはひとつだと思ってたんですけど…。

八雲:もともとキリストが昇天するっていうのがアセンション。で、それをもとにしたのかどうかはよく分からないけども、2013年あたりに次元上昇するって言ってる人がいて、それをアセンションと呼んでるっていうのがあって、だから取りあえず最初に聞くのは…どっちですか?っていうのを聞くんですよ。でないと、その後の説明全然違っちゃうんで。

―:両方お聞きすることによって、何か浮き上がってくるということはあるんですか。

八雲:あんまり関係ないです。

―:では、スピリチュアルで言ってるアセンションについてお聞かせください。

八雲:だいたい2012年の冬至、とか2013年ってよく言われるんですけれども、アセンションっていうのは基本的には、たぶんだけれども…ないと思う。

―:えっ、ないんですか?

八雲:というのは、その2012年、2013年がひとつの大きな変化点になる、というのは確かなんですよ。

―:それは、人類全体でしょうか、地球全体でしょうか。

八雲:地球といったほうが良いです。で、それはなんか天文学的にもあるらしいです。ちょっとなかなか調べはついてないですけど。そういった意味で、その地球の中での変化点のひとつであることは確かです。ただ、その程度の変化というのは、これまでにも何回か起きてる。

―:えっ、アセンションは何度も…。

八雲:アセンションというか、アセンション程度の変化。一番分かり易いのは、1999年、2000年、2001年という変化をみてみると、通過してるときはよくわかんないけど、今振り返ってみると、20世紀と21世紀と違う。だから、この程度の変化はあります。ただ、よく言われる次元上昇みたいな話、あれは行き過ぎ。

―:なんかよく本で、体が透明になるとか、ちょっとこう…ほんまかいな?見たいな表現が出てきていると思うんですけど、そういったことまでは起こらないということでしょうか。

八雲:そうに考えてます。まぁ、現実問題としては実際になってみないとわかんないんですけれども、ただ、そのアセンションで次元上昇だとか、人間のエネルギーが変わるとか、色いろ言ってるのをみてると、キリスト教系の文化圏だけなんですよ。もしくはキリスト・イスラムみたいな文化圏で、仏教文化圏からはあんまり出てこないんですよ。で、キリストとかイスラムとかユダヤとかは、終末思想っていうのが経典の中にあるんですよ。それらはある意味、虐げられた人たちの宗教だから、未来に希望が欲しいわけなんですよ。なので、その終末がくれば、その次は自分達の時代になると。

―:それは、助かりたいとか…

八雲:助かりたいというか、虐げられている状態から自由になるという。

―:ああ、解放みたいな。

八雲:そう、そういうのがあって、そういう人たちのところのアセンションという話を聞くと、なんか凄く時代が変わっていくとか、新しいスピリチュアルな時代がくるとか、そういうことをよく書いてるんですよ。終末思想という色眼鏡が入っている、という感じが凄くします。

―:アセンションについての情報を発信している人達というのは、チャネリングしたりとか、ある種の啓示を受けて書いているのでしょうけれども、西洋文化圏とそれ以外で書かれているものに違いがあまりないように思うのですが。

―:それは、第一情報を見てるんですよ。その第一情報に影響された日本人がやると、同じようになってしまいます。おおむね、第一情報的なことを言ってる人達を観ておくことが大事です。なおかつ、2012年なり2013年になんか大変なことが起きるってやると本が売れるんですよ。で、本が売れるということは、本でなくても、テレビでも、雑誌でも、メディアであれば商売になるんですよ、それが。だからメディア側からすれば、そういうことを書いたほうが自分達のためになる、というのが多分にあります。

―:そういうお話を聞いて感じるのは、初回のインタビュー記事で、環境問題があったと思うのですが、それを真剣に考えている人達とそれを利用しようとする人達がいるとのことで、いまのアセンションについても自分達の商売ベースで考えている人達がいると。で、僕なんかは一方的に読んだりするだけで、きちんと判断できない気がするんですよ。そういうのは恐いかなと思うのですが。

八雲:僕が読んでるものが、他の人が読めないものではないんですよ。だからその、同じものを読もうと思えば、読めるものを僕は見てます。じゃあ、何が違うかというと、まず言葉遣いです。センセーショナルな言葉が多ければ多いほど、本は売れるという要素があります。だからその言葉遣いが如何に冷静に物事を観ようとしているかどうかを見ていくことのほうが重要。だから、1999年のノストラダムスの話を考えてみればよく分かる話で、恐怖の大王が降りてくると言ってるわけですよ。で、何もなかったんですよね。

―:(笑)なかったですよね。

八雲:で、その恐怖の大王っていう言葉も翻訳の仕方で随分変わると言われていて、だから、センセーショナルな言葉を使えば使うほどみんなの注目を浴びやすい、みんなの注目を浴びるということは、テレビなら視聴率がとれる、雑誌や本だったら売れるっていう話になるんですよ。だから、そのへんをみると良く分かってきます。つまりその、冷静な言葉遣いで物事をちゃんと判断しようとしているのか、なんか断定的に物事を言ってるのか、そこらへんに十分注意していると、なんかこれおかしいなって分かってきます。

―:情報の識別というか判断に際して、言葉遣いの印象がひとつの…

八雲:私の中では識別のポイントになっています。こないだのインタビューと若干かぶるんだけれども、断定的に怖いこというと、みんなが見てくれます。といことは、ある程度わかってる人は意図的にそれを使います。でも、怖いことっていっても、人間の歴史1万年3万年で考えれば、その中で本当に怖いことっていっぱい起きてるわけですよ。だから、そのことそのものであんまり驚くよりは、長い歴史の中でどういう位置づけなのかっていうのを考えたほうが良いです。ついこないだだって、中国の四川省で地震があったけれども、それより大規模な地震が数十年前に起きてる。そのときは中国はどっちかというと、鎖国政策に近い状態だったんで、みんなに知られてないから、びっくりしてない状態。

だから、意外とセンセーショナルな記事が出てもそんなに大したことない。死んだ人に対して大したことないって言い方も変だし、一人一人の命は大切だけれども、人類の歴史っていうスケールで見たときには大したことは起きてないんですよ。だから、地球レベルのスケールで見るってことは大事。目の前のことでみると10人死んだらそれこそ大騒ぎですよ。でも、人類の歴史からみると何十万人一度に死んだってことは決して珍しいことではない。だからといって一人の命が軽いとはいえないんだけれども。でも地球上に住んでる限りは天変地異というのはある意味避けられないもので、そういうので死んでる人もたくさんいるということも現実です。

―:そういった情報にも気をつけながらも、2013年には…

八雲:厳密に言うと、2012年の冬至っていう言い方をしてます。

―:それは、通過してるときは気づかず、あとから振り返ってみるれば、あのとき大きな変化があったと。それはまぁ、人間の精神的なものや、物質的なものが変わるんですか。

八雲:基本的には人間の価値観が変わるんですよ。

―:価値観が。

八雲:だから、そこが変わっていけばつくるものも変わってきます。

―:たとえば、農薬を使う食べ物もあるでしょうし、無農薬の食べ物もあると思うんですが、体にはもちろん無農薬ほうが良いと思うんですが、価値観が変わると、つくるものが変わってくるというのは、たとえば農作物の質が変わってくるとかでしょうか。

八雲:そういうことです。自分と自分の周囲との関係性というものに関して、もっと深くなっていくってことです。自分と自分の周囲、たとえば環境だとか、人との関係とか、国との関係っていまはどちらかというと分断されてきている時代になっている。で、それが逆に元に戻っていくっていう時代になっていくということなんです。

―:それは戻るんだけれども、ちょっとまた昔とは違った感じで戻るんでしょうか。

八雲:新しい形で戻っていくということ。その、自分と周りの環境とをだんだん切り離さないようになっていくと、たとえば環境汚染することは自分に還って来ることとして捉えていくことになる。

―:遠くの出来事も身近な出来事として捉えるようになると。それは地球全体というか人類全体規模で、まぁ人類は66億近くいるわけですけれども、その全体の底上げみたいな形で起こるのでしょうか。
八雲:基本的にはそうだけれども、濃淡はそれぞれあります。

―:ああ、相変わらず分断的な価値観で行動する人たちもいるし、まとまっていく人たちもいると。

八雲:象徴的なものとしてはEUですね。それぞれ分かれてた国が単一通貨をもつ。で、単一通貨を持つとお互いに戦争できなくなるんですよ。

―:為替への影響とかですか。

八雲:ではなくて、戦争することのほうがメリットがなくなるんです。そうすると、単一通貨を持つということで、お互いに戦争をやりにくくなってくるんです。むしろ、そんなことやるよりお互いに稼いでるほうが良いと。そういう時代になります。

―:第2次世界大戦の話になるんですけど、8月15日ですし。当時、ABCD包囲網という経済的な圧力があったと思うのですが、そういう国と国との争いごとも、共通の通貨を持っているとあまりなくなると。

八雲:やりにくくなります。自分達の経済と敵の経済が切り離されていれば、そこに戦争を仕掛けていっても自分達の経済は守られてる状態。

―:それは影響を受けないという意味ですか。

八雲:たとえば、日本の中で九州と本州が戦争をしたら、日本中影響を受けちゃうわけです。関係のない北海道だって影響されちゃうわけですよ。

―:そうですよね。

八雲:みんな困るんです。だから、そういう風になっていくことのほうが、世界をひとつにしていくという意味では早道なんです。

―:話が飛ぶかもしれないですけれども、よく戦争であるとか、分断的行為というか、そういったものがエネルギーとして蓄積されてるという話を聞くんですが、それを地震で開放するとかっていう話を聞いたことがあるんですが、それについてはどうですか。

八雲:地球に我々がなんで降りてきたのか、っていうことを考えると、地球って珍しく分断を経験できる場所なんですね、。だから、分断っていう経験をある意味やるために、別の人は分離っていう言い方をしているけれど、それが出来る場所として、経験を積もうとしてきてる部分があるので、じゃあその分断とか分離がゼロになるかというと、ゼロにはならない。ゼロにするんだったらば、地球でなくても良いんですよ。だから、まったくゼロにはならないです。だからどうしても濃淡が出るんです。でも、それはそれで、いわば地球という場所の特性なんで…。

―:それを殊更になげく必要はないと。

八雲:そうです。でも、分断してしまうのも良いことではない。だからそこらへんの、分断して戻って、ていうことの繰り返しにはどうしてもなっていくところがある。

―:繰り返すなかで、少しずつ良くなっていくと。

八雲:昔だったら、ローマ帝国というひとつの大きな国家が出来て、また分かれて、今度はEUができたみたいな。ローマ帝国のときは武力でまとめていったのが、今度は経済としてまとまっていくという、そのへんの違いはあります。

―:螺旋階段のように良くなっていくイメージになりますか。

八雲:なります。

―:アセンションの…うーん、アセンションという言葉がもはや適切かどうかということを感じているんですけど、要はその周期的に人類の全体的な変化とうのを、それは自分達がどこかで周期的に起こそうと思っているわけですか。あるいは、地球を作ったときに周期的に変化を与える環境だという設定をしているのですか。

八雲:学習のプロセスとして、スパイラルとか螺旋階段状にあがるほうが効果は高いですよ。学習効果が高いと言ったら良い。たとえば、テーマが2つあったとしたらば、まぁその学習テーマとしてってことですけれども、だとしたときに、AとBがあって、Aばっかりやると、なんか頭打ちみたいな状態にいっときなるんですよ。そのとき持ってる能力だとか判断力っていうものが、ひとつのピークに達してしまうときがある。そうすると、そのときに今度Bに移っちゃったほうが良いんですよ。

―:Aをとりあえず置いておいて。

八雲:そう、置いといて。で、Bをやると、また新しい経験だとか、新しいやり方を見つけていくと、今度はAのとこにまた適用ができるようになってくる。だから、同じものをずーっとやるよりは、ときどき変えていったほうが、効果は高いんですよ。だから、そういう形でつくったんだろうってのが僕の考えです。

―:そういう意味じゃ、地球ってよっぽど特殊なんですかね。

八雲:まぁ空を見上げてみると、地球と同じ星はなかなか見つからないのとおんなじです(笑)。

―:(笑)。想像もつかないんですけど、地球と同じような星っていうのは、この宇宙全体のなかではあるんでしょうか?

八雲:宇宙全体でいうと、何億個かあると、天文学系の人は言ってます。だから珍しいけども、極端に少ないわけでもないと。ただ、それは天文学的な分類の中での話です。で、宇宙の歴史を見てると、地球が出来上がるまでのプロセスはものすごく狭い道を通ってきています。狭い道っていうのが、たとえば温度っていうのを考えたときに、ある一定温度より高いと水は沸騰するし、低いと凍ってしまうという、非常に狭い領域の中で地球は安定しているわけなんですよ。沸騰するわけでもなく、凍るわけでもなくと。だから今の地球環境だけ見てると分かりにくいけど、宇宙の歴史で考えると、数千度とかっていう時代もあるし、マイナス何百度っていうのは宇宙空間では平気で存在してるわけなんですよ。そのなかのわずか数十度っていう変化の中で落ち着いてるってことは珍しいです。

―:たしかにそのスケールで考えると、奇跡的と思えます。

八雲:宇宙の進化を研究してる人からすると、なんでこんなに狭い範囲で落ち着くことができたのかが不思議だという風にいってるんですよ。だからこれを、学者さんで、神の配剤だと言っちゃってる人もいます。

―:えっ、学者なのに。

八雲:うん。そうとしか思えないぐらい狭いです。そうやって考えると、地球は創ったんだって考えるほうが分かりやすいです。

―:地球上の人生を通じて、色々な経験を積むと思うんですが、その経験は死んだときに…う-ん、その前に死んだときってどんな感じなんですかね。

八雲:現世では死んだことがないので、ちょっと僕もそれはわかんないです(笑)。それはその臨死体験とかそういった人たちの話から聞くと、いわばその、この一生に起きたことを一回、ざぁーっと全部みてしまうような感じ。まぁ、走馬灯のみたいな形で見えるっていう人もいれば、何もなくするっと行ってしまう人もいます。ただ、全体的には過去を振り返る人のほうが多いみたい。そのときの一瞬の間で全部を見てしまう。全部をまとめたものを見直しをする。だからその、臨死体験をした人はその後、ポジティブになる人が非常に多いと言われています。臨死体験については立花隆さんの本がよく纏まってます。やっぱり立花さんってジャーナリストなんで、スピリチュアルに偏ることもなく、科学に偏ることもなく、中立的に書いてるんで、非常に良い本です。

―:私の知り合いの方でも、ポジティブに人格が変わった人がいて、いつからですか?と聞いたら、大病を克服してからだっていう人がいらっしゃいます。歴史上では、西郷隆盛もそうらしいですけど。入水自殺をはかって運よく蘇生したらしいです。思うんですけど、まぁ、人間はみんな死ぬじゃないですか、最終的に。で、この地球で、この国で、この家で、この家族で、この性別でという風に選んで生まれてきたっていう理解でよろしいんでしょうか。

八雲:基本的には、生まれる前に自分で選択してるっていうのはありますね。

―:すると、そのときに自分の人生の課題は、これとこれっていう風に決めてるんだと思うんですけど、生まれちゃったらそんなこと忘れてるじゃないですか。なんとなく頭のどこかでは覚えているのかもしれないですけど…

八雲:それは、人によっては忘れたほうが良いってことは多いです。たとえば、僕が実際に観たあるカップルがいて、出会って交際しているときには何にもみえないけれど、別れたときにこの人たちのテーマは何かってみえたときがあるんですよ。で、これは出会ったときに観えるとややこしくなるんですよ。というのはどういうことかと言うと、昔の恋人同士で、男性が女性のほうを殺してるんですよ。それなので、もう一回やり直しをしようという形で来てるので、出会ったときに男性が女性を殺してるっていうのを知っちゃうとややこしくなっちゃうんですよ。それは知らないほうが良いということがあります。あとこの人生のテーマにしても、5歳時に40歳頃のテーマが出てきても困っちゃう。

―:対応できない。

八雲:できない。だから、それまでは見えない状態で、あるときをきっかけにテーマが出てくるってよくあります。

―:たとえば、10のテーマをこの人生において段階的にやるとしていて、40歳ごろまでに1~5までやっておいて欲しかったけど、1~3までしか出来ませんでしたってのは、本人の怠慢みたいなことになるんですか。

八雲:そういうことよりは、今回の人生では達成できなかったと言ったほうが良いです

―:達成度合いとかあるんですか?

八雲:度合いって言われても難しいんだけれども、ただやっぱりカウンセリングをしてて、これやっぱり難しいから来世送りにする?っていう話はまれにあります。だから、やれると思ってたんだけれども、なんか色んなそれまでのプロセスからするとちょっと難しくなってきているっていうときはあります。そういう場合は、来世送りみたいなやり方もあるし、今世の中でちょっと先送りをするというときもあります。まぁ、達成できなかったというよりも、状況的に難しい状況になってきたっていう見方のほうが僕はなんとなく良い見方なのかなと思ってます。

―:やれると思って生まれてきたのに、色んな過程の中でそういう結果になるのはとても残念だと思うんですけれど…

八雲:ちょうどオリンピックやってるときだから、やっぱりオリンピックでメダルをとれると思ってきたけども、相手のほうが強かった、自分が怪我をしてしまったとか、潜在的なものは持ってるんだけど出来ないということがあるんです。そういうものだと思ったほうが良いです。

―:以前、色々な体験するために地球に来ているという話があったと思うのですが、自分の人生のテーマについて途中で挫折してしまったりだとか、くじけちゃいましたとか、反対に頑張ったので、できちゃいましたとかいう状況があると思うんですけれど…

八雲:あと楽勝でしたっていうときもあります(笑)

―:楽勝…(笑)。そういう、なんていうのか自分の中でどういうメニューで何を経験してだとか分からないじゃないですか、ナビゲーションシステムとかあるわけではないので。

八雲:分かんないから面白いんですよ。全部生まれたときに全部分かってたら、人生つまんないですよ。

―:そうですよね…

八雲:はじめっから全部見えてたら、人生それでもう終わっちゃったようなもんです。もしくはたとえば、20歳で全部人生見えたらば、それって誰の人生かが分かんなくなっちゃいます。自分で選び取った人生にはみえないです。だから、見えないってコトが結構大事なの。全部みえちゅうと自分の人生おしまいっ!みたいになります。先が見えないっていうのは人生を楽しむためにあると思ったほうが良いです。

■ソウルメイト、スピリチュアル

―:話は変わるんですが、スピリチュアルな世界って、たとえば同じような人同士が引き寄せあうとか法則が謳われてたりするじゃないですか。えーと…、他になんかありましたっけ?

八雲:よく言うソウルメイトとか?

―:ええ。そういうのってそもそもあるんですか?

八雲:ソウルメイトがあるかないかっていえば、確かにあります。ただし、私はソウルメイトって言葉は使ってないです。ときどき使ってたことはあるんですけれども、かなりみんな勘違いをするんです。ソウルメイトといっても、お友達ぐらいの仲から親子まであって、色んなレベルのソウルメイトってあるんですよ。ところが、お友達レベルのソウルメイトなのに、結婚しないと駄目ですか?って聞いてくるんですよ。だからそういうもんじゃないと、あなたたちはお友達レベルのソウルメイト。だから縦のレベル感があまりない状態で認識してしまうので、勘違いが多いんで、最近ちょっと言わないです。

―:またちょっと話が変わるかもなんですが、人生は全部見えないほうがって…

八雲:全部じゃないですけど。

―:でも、ヒントはたくさん転がってるような気がするんですよ。ソウルメイトにしても、引き寄せの法則にしても。そういうのをポジティブに自分の中で使うというか、なんというか、取り込むというか、表現が難しいですけれど…まぁスピリチュアルなことって、人生全般に影響を与えたり、自分の価値観そのものを揺さぶる力を持ってると思うんですけれど、そういうスピリチュアルなことを学ぶということにしても、行き過ぎてしまったらこれまた問題かなと思うんです。まぁ先ほどのちょうどいい塩梅で地球が安定してるというお話のように…。さっきのアセンションのお話のなかでも、表現の仕方が行き過ぎかどうかとか、色々あったじゃないですか。個人であったり会社であったり、国であっても極端な表現というのがあると思うんですよ、色々なレベルで。で、そういうのに影響されないように、スピリチュアルなことを学ぼうと思うんですが、学べば学ぶほど混乱していく自分が私の中であるんですけど…。

八雲:たとえばスピリチュアルを勉強しようとするときに、何が判断要素になるかというと、それがあると健やかに生きられるかどうかなんです。それが一番です。それを握ってても、健やかに生きられないのであれば、握り方を変えるか、捨てるか、をする必要があるということです。で、たとえばスピリチュアルの勉強をして、恐怖心が募っていくんだったら、それはスピリチュアルではないんですよ。だから、心穏やかに生きていけるだろうかとか、健やかに生きていけるだろうか、っていうのがスピリチュアルを勉強する上での判断要素。そうでなかったら、それはちょっと違います。で、スピリチュアルで、それがないと生きていけない、になると、それはそもそもの目的から外れてきてるんです。僕なんかも、ブレスも作るんだけれども、最終的にブレスなんかいらなくなるっていうのが一番良いんですよ。だた、それの途中の過程で、楽にその状態になっていくのかとか、早くその状態になるっていうことのために使っていくのが一番良いことなんです。で、そこまで行ってしまって、あとは楽しみの装飾品としてつける分には全然問題はないです。実際にちょっとこの前、作ったものの中ではそういった説明をしたものもあります。ある程度たったら、これは使えなくなる、エネルギーが必要でなくなる。でも、見た目は綺麗だから装飾品としてつけておいて良いですよ、と。そうすると、好きなときにつけて好きなときに外せば良いんです。

■ガイド

―:また話が飛ぶんですけど、ガイドという概念があるじゃないですか。ええっと、ガイドさんって…厳しいガイドさん、優しいガイドさんっているんですか?

八雲:人間に個性があるのとおんなじもんだと思ったら分かりやすいです。凄く言葉が短いガイドもいたら、長々としゃべるガイドもいて。それは色々あります。

―:(笑)。八雲さんはどうなんですか?

八雲:うちはやたら短いことが多いです。「行けば分かる」とか、「やれば分かる」とか、「9月になったら分かる」とか。でも、そのガイドさんの言葉の長い短いっていうのと当人の性格っていうのはわりとリンクするんです。長々しゃべりたい人はガイドさんも長々しゃべるほうが出やすいです。うちはもう…端的な言葉が多いです。

―:「出陣じゃっ!」というメッセージとか(笑)

八雲:うん、「そこ右!」とか。車で行ってて、本当は右に曲がらなきゃいけないところを、左に曲がろうとしたら、「右!右!右!」って言われてしまって。短いですよ。

―:あはは。それは、結構大変ですね。

八雲:まぁ大変だけど、ちゃんと聞いてるときは、ちゃんと目的地に到達できます。今年の北陸に行ったときには、初めての神社を、初めての道で、最短コースで行ってたりするんですよ。

―:それは普通では、考えにくいですよね。

八雲:でもちゃんと繋がってれば、そんな風にはなりますよ。車で神社に行く時にガイドが道案内するというパターンはたぶん珍しいほうだと思いますけれども、ちゃんとガイドさんと繋がってるときはそうとう精度が高いです。

―:ガイドという存在は、その人にとってどういう存在なんですか。

八雲:あえて私が言うんだったらば、「使えたら使う、使えなかったら使わない」、あくまでも自分が決めること。で、僕らみたいな霊的な仕事をする人間の場合は、修行期間というものがあって有無を言わさずやらされるときもあるんですよ。その話は、結構聞くと面白いです。でも普通の人に当てはまるかというと、必ずしも当てはまるわけではないです。さっきの「出陣じゃっ!」なんて普通の人には出てこないです。

―:「出陣じゃっ!」は出てこないですよね。

八雲:「出陣じゃ!」ってどういうことかって、ちょっとわかんない人もいると思うんで、説明をしておくと、私の修行期間のときに、土曜日の朝にうとうとと目覚めていたら、ガイドにいきなり「出陣じゃっ!」って言われるんですよ。

―:…(笑)

八雲:で、「出陣じゃっ!」と言われたら、しょうがないんで起きて、呼ばれた神社行ってくるわけです。で、昨日行ったから今日はないだろうと思ってると、日曜の朝にまた「出陣じゃっ!」って言われて。まぁ、言われたらしょうがいないと・・・

―:ははは(笑)

八雲:というのは、自分の過去生に武将をやってたってのがあるんで、それにかこつけて呼ばれるんですよ。武田軍団の中の一派にいたんで、大将から「出陣じゃっ!」って言われて行かなかったら逆に殺されるんですよ。行かないと駄目なんですよ。

―:…(笑)。それ痛いところを突かれてますよね。

八雲:うまいやりかたやってます。

―:ガイドさんはそこまで考えて「出陣じゃっ!」なんですね。

八雲:…そう。だから、こういう話って、確かに話としては面白いですけど、普通の人起きないですね。

―:もう600社ぐらい巡られてるとか?1000社でしたっけ?

八雲:全体…いまだと700社くらいだとは思うんですけど。最近面倒くさくて数えてないです。

―:700社も巡られてるって…

八雲:延べ数で700社です。でも、単発で数えても、たぶん500社は超えてると思います。

―:海外は行かれてことは?

八雲:海外は、9.11テロの跡地とか。

―:えっ、行かれたことあるんですか?

八雲:行ってみました。

―:どんな感じでした?

八雲:すっきりしてました。ああいう事件があったから、色んなものが蠢いているのかなと思って行ったんですけれども、跡地みたらすっきりしてるんです。で、すぐ横に小さな教会があって、そこが酷い状況です。どういうことかっていうと、生きてる人間が悲しみを持ってそこに色んなものを置いてくるんですよね。だから、生きてる人たちの想念のほうがよっぽどぐちゃぐちゃしてました。

―:よく生霊のほうが怖いという話を聞くんですが…。

八雲:生きてる人間のほうが面倒くさいです。

―:その面倒くささの違いってどこから来てるんですか?

八雲:向こうにいくと執着できないんですよ。

―:生きてる人間のほうがしがみつきやすい?

八雲:生きてる人間のほうがしがみつきやすいです。一番怖いです。

―:ところで、スピリチュアルな世界で、これから全体として起こってくる兆候って何かありますか?

八雲:あえて…受け狙いな言葉をいうと、すべての人はイエス・キリストになるっていうことです。実際、そこまでのレベルに行くかどうかはちょっとわかんないにしても、いわばそのスピリチュアルであることはむしろ当たり前のことになるだろうと。

―:それでは、廃業することもありうると(汗)。

八雲:(可能性は)ありますよ。

―:良いのかどうか分かんないですけれども…。

八雲:まぁ、こういう仕事はやっぱり役割なんで。役割終わってしがみついてたら、かえって危ないことになります。

―:引き際って人間難しいと思うんですけど。

八雲:執着しなければ良いんですよ。執着しなければ引き際なんて自然と分かります。

―:なぜ執着するんでしょうか?

八雲:怖いから。それまで積み上げてきたものとは違う世界に行くのが怖いから執着するんですよ。それはある意味人間の自己防衛本能みたいな部分なので、どうしても出るっていうのはあります。

―:大事なのは、そういう段階からいかに抜け出すか?

八雲:だからその、そういうことがあるのを理解したうえで、執着しない、ということが一番大事。

―:教育的な話になってくるのかもしれないですけど、教育の現場で、そういうスピリチュアルなことって全然教えてないですよね。教える必要がないのかもしれないですけど。

―:もともとその教育っていうのは知識教育なんですよ。寺子屋制度にしても。読み書きそろばんの世界。だから、教育っていうのはもともとそこからきている。あくまでも知識とか知恵とかそういう部分の、みんなが平等に扱えるものっていうとこから始まってるんで、こういうスピリチュアルなことはヨーロッパだったら、教会に行ってくださいって話だったの、そもそも。日本だとお寺に行ってください、神社に行ってくださいって話しだったの。ところが、いまは日本の場合、お寺も神社もそういうことに対して凄く及び腰な状態が続いているので…。

―:あぁー、そうですよね。過去の戦争と結びついたとかの経験から来てるんでしょうね。

八雲:たとえば分かりやすい例でいうと、引きこもりとか鬱っていうのは、そんな人がいたら、お寺の坊主に行けっていうのが昔だったんですよ。

―:性根を叩き直してこいみたいな。

八雲:そういう役割を持ってたんだけれども、だんだん戦後過ぎてきて、お墓ビジネスのお寺がいっぱい増えてきて。お寺もそういう本来のことを忘れていってしまう。神社もやっぱり国家神道みたいな時代があったもんだから、色んなことに及び腰になってしまっちゃった。というのがあるので、その後の役割がどんどん無くなっていってしまった。なもんで、そういった役割をいわゆるスピリチュアリストみたいな人が担ってる状態。

―:日本は少し特殊なケースということでしょうか?

八雲:西洋も程度の違いだけで、キリスト教会がそんなに昔ほどには大事にされなくなってきてるっていう部分はあります。それはもう、そういった時代の流れがあると思う。昔は、日本でいうと、お寺とか神社が担ってたことを僕らがある意味、肩代わりをしてるってのはあります。

―:そして将来的に、ひとりひとりが、キリスト教や神社やお寺の担ってたスピリチュアルなことを分かってくるだろうと。

八雲:それが分かってくる時代になるということです。

―:話がまた変わるのですが、キャリア論についてなんですけれど、コンサルタントとしてのご経験もお持ちだと思うのですが、スピリチュアルなこととビジネスをやってることっていうのは…

八雲:何の矛盾もないです。矛盾があると思うと、矛盾を見つけてしまいます。何も矛盾がないと思うと、何の矛盾もないものを創っていきます。

―:今までご経験されてきたなかで、ビジネスでこういうことがあったんだけれども、これってスピリチュアル的にいうとこういうことだよっていうことってありますか?たとえば、八雲さんのブログでゼネラリストとスペシャリストという記事があったと思うのですが。

八雲:ビジネスをやるうえで一番大事なのは直感なんです。もうひとつは、論理的な説明。直感はいわゆるスピリチュアル的なもので、論理的説明というものは科学的なことなんです。で、この2つがうまくかみ合ってるときに、効率が非常に良いです。これで直感だけをなくしてしまうと、非常に効率が落ちるんですよ。たとえば、僕らがコンサルタントとして現場に行くと、分析する前に、直感的にこの現場はこういう問題があるってだいたい分かるんです。いわば、あたりをつけるという言い方をするんですけれども、で、そこに対して論理的に分析をかけていくという風にやると、問題点がこれで、原因がこれだということを早い時間で知ることができる。で、優秀な経営者の人は瞬間的にパチッとやってしまう。松下幸之助さんなんかの本をみてると、それをもう瞬間的にやってるわけなんですよ。単なる閃き、勘だったらば、社員に説明できないんですよ。だから両方やってるんです。

―:あたりをつけて、それを論理的に分析して伝えると。仕事一般にも、そういう枠組みって当てはまると思うのですが…。

八雲:世の中的には直感でやるっていうことは駄目なことだって思われていて、で、なんでかっていうと、それは直感だけを使っているからで、後ろの論理的な分析がセットになってないもんだから、なおかつそういう人たちって、直感といいながら単なる勘っていうことがあるんで、失敗するんですよ。

―:そういう失敗事例を持ってきて、ほら駄目でしょと。

八雲:言われちゃう。だからその、僕なんかがやってたコンピュータの世界もおんなじですよ。なんかたとえば、トラブルが起きてバグがあって動かないというときに、だいたい直感的にこのへんだろって分かるんですね。そっから調べていって、原因はこれだったっていう説明をするんです。で、新人なんかがくると直感的にここが悪いですって言っちゃうんですよ。そこで、お前ちゃんと調べたのかという話をさせると、調べてないから原因が違うところにあったってことはよくあります。だから、逆にそういうことを教育していくことが必要なんですよ。直感的にここが問題だろうとあたりをつけて、調べて証明をするということを、教えてあげないといけないです。

―:しかも、そうすることが一番効率が良いわけですからね。でも、そういう教育があまりなされていない。

八雲:されてない。

―:先ほど直感はスピリチュアルなこと、というくだりがあったと思うのですが、そのことと、いまの学校教育は知識教育が主眼で、スピリチュアルなことはお寺や神社ではなく、スピリチュアリストが担っているという話とあわせて考えると…

八雲:昔は道徳の時間が結構重視されてたんですよ。でも、道徳の時間すら削られてしまった。それが長く続いてるもんだから、教える側が道徳がなくなってきちゃった。特に知識教育で受験教育ばっかりになっちゃった。知識教育、受験教育っていうのは、人より高い点をとって自分達だけが良い思いをするっていう教育になっちゃったんですよ。

―:なんで勉強するの?って聞かれた親が、それはいい大学に行けるからだと。じゃあいい大学に行ってどうするの?と聞くと、それはいい企業に勤めれるからだと言うとかね。

八雲:いい企業に勤めてどうするの?って聞くと、いい地位に昇れるからと。それは親の意識が問題なんです。

―:子供のことが可愛いがゆえに言ってる部分も理解できるんですが、あまり根本的に良いとは個人的に思えないです。

八雲:戦後50年というのは経済的に貧しいとこからあがってきたっていうのがあるんで、その論理が一時的に役に立った時期ってあるんです。で、その成功体験が自分にあったり、自分も周りで成功体験を見てるからそこに固執しちゃってるんです。今では良い学校を出て、フリーターやってる人がいっぱいいますから。

―:通用しなくなってるんだけれども、いまだにしがみついているのもある種の執着なんでしょうね。
八雲:生き方をみんな忘れたんです。だからその、自分ってどうしたら良いのか分かんなくなって、フリーターみたいになっちゃうんです。

―:変な質問かもしれませんが、フリーターの人はそういう学びをしにきたんでしょうか?

八雲:なくもないです。

―:いつも分からないんですけど、たとえばある人が可哀想な状況に陥ってるとするじゃないですか、で、それはその人がそういう学びをしにきているために起こっている場合、はたして、放っておいたほうが良いんでしょうか?

八雲:古いことわざに、魚を与えてくれる人は良い人だけども、魚の釣り方を教えてくれる人はもっと良い人だというのがあります。だから、魚の釣り方を教えてあげるのが良いです。いまの時代は、魚だけ与えてる人が多いです。

―:そっちのほうが楽でしょうね。

八雲:楽。幸か不幸か、楽ができるのが日本。

―:それが豊かさの弊害?

八雲:でもないですよ。だからその、生き方を忘れてしまって、さっきので言うと、魚の釣り方を忘れてしまって、魚だけとってくると。ところが、アメリカとか外国に行くと、むしろ魚の釣り方を教えるのに力を入れてるんです、教育そのものが。だから、日本の学生が一番向上心が低いという調査結果が出てるんですけれど、日本の教育をする大人側のほうがなんか人間の生き方を忘れてしまっている。それが結局戦後50年で、経済だけを追求すれば確かに多少は幸せになってはきてるけれど、生き方を忘れちゃってるんですよ。

―:それは、取り戻すっていう表現が良いかどうか分からないですけど…うーん、思い出す?

八雲:両方必要です。

―:そういう時期に来ているんですかね。

八雲:だから経済がマイナス成長すると私は嬉しいんです。というのは、それがないとみんな思い出そうとしないんです。これがプラス成長だけ続いたらやっぱり昔とおんなじパターンが続いていくんです。思い出したり、まぁその、そういうことを再度もう一回修得しなおすには時間がかかるんです。そういう時代に今はあるということなんで。

―:時間ですね。

八雲:こんなところでよろしいでしょうか。

―:はい。どうもありがとうございました。

コメント

  1. すずめ より:

    こんにちは。いつも興味深く購読しています。
    今回のインタビューは内容が濃いですね。
    アセンションは、ずっと先のように思っていたのですが、あっという間にその日がきてしまいそうです。私にはそれがどういうものなのか、とんと、ぴんときていないのですが、例えば、パソコン通信の時代から、インターネットの時代への移行に近いものと考えると、インターネットの時代になって、表現の仕方は多彩になったけれども、モラルの点では低下している部分もあるように、……かなと思います。
    これを人間の精神におきかえた時、ものすごく恐ろしいと感じます。何かきちんと対策を講じていないと、パソコン端末がそうなるように、私達個々人のパーソナリティも、突然あっという間におかしくなってしまったり、真っ白になってしまったりするのでしょうか?
    スピリチュアルな理解が進めば、個々のパーソナリティは何ら本質的なことではないのだから、仮に運悪く消去になっても「あちゃー、やってもうたー。また1から作り直しだわー」で、あまり気に病むことなく済むのかも知れませんが、自分が生きているうちにもそういう時代がくるのかと思うと、自分がそれをあっけらかんと受け入れられるかどうかという点で、はなはだ心許ない気持ちです。

  2. ミカ足 より:

    こんにちは。
    先が見えないっていうのは人生を楽しむためにあると思ったほうが良いです。
    目からウロコです。なるほど。
    せっかく?先が見えないんだから楽しまないと損ですよね。
    この世界に生まれてきた以上。
    神(あえてこの表現を使うとして)が=私達が、
    苦しむためにこの世界を作ったはずがないですしね。
    インタビュー、八雲節を堪能させて頂いています。ぜひ続けて頂きたいです。^^

  3. みつい より:

    興味のある内容だったので、次元上昇の話にはがっかりしました。
    普通に考えれば、エネルギーが変わるとか体の仕組みが変わるとか短期間でなるなんてあり得ない話だけど、色々な所であれだけ煽れれるとその気になっていたので、「解放」を期待していました。
    結局は地道・現実的に生きるしかないのですね・・。

  4. じゅんこ より:

    今まである分野を専門的に勉強する機会が10年も続いていました。それなりの実績も立場もあるのですが、直感が先行してしまい、論理が伴いません。
    「論理的な思考」ができるように、ここ5年ほどがんばってきたのですが、後輩に説得力のある話ができないことに「頭打ち」を感じていました。
    がんばってもできないことにまだがんばらなくちゃいけないのか、これが私のスピリチュアル的な課題なら、続けることが必要なのかってすごく苦しんでいたのですが、「健やかに生きる」ための要素としてとらえるなら、課題はもっと根底に流れるもので、きっと立場が変わっても続くのでしょうね。
    なんだかそう思ったら「引き際」が見えてきました。8月4日に「だめだ、続けられない」と直感したことは「敗北」だと思って、「負けたくない」という執着もあって、ずっと悩んでいたのですが。次の道筋が少し見えてきました。
    「生き方を教える」というのがキーワードになりそうです。
    ありがとうございました。

  5. 八雲 より:

    すずめさん
    人間という存在は意外と大丈夫だと思っています。
    これまでの歴史をみても、変化には(紆余曲折はありながらも)対応してきているので、長い目で見れば大丈夫だと思っています。ただ、短期的には色々なことがあるかもしれませんね。
    ミカ足さん
    人生は推理小説みたいなところがありますが、推理小説を後ろから読んじゃうとつまらないのと同じで、先が見えないから自らの努力や判断が必要になり、それが「生きる」とことであるということも言えると思います。
    みついさん
    アセンションについては、以下のページにも書いていますが、
    Library/Ascension/index.html
    終末思想によって、ずいぶんと脚色されてしまっているというのが現実です。
    じゅんこさん
    今年は特に「変化の年」でもあるので、自分と自分の周囲の流れをよく見て、判断することが大切な年です。
    無理に頑張って行けば、多少の延命はできますが、いずれ自分の流れに乗っていくことが必要になります。

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