ノンデュアリティは全てを包括する

◆悟り・ノンデュアリティ

以前の記事で、

スピリチュアルとノンデュアリティは何が違う?
スピリチュアルとノンデュアリティはそもそも異なるものなのですが、ノンデュアリティのティーチャーがノンデュアリティの目覚めの事をスピリチュアルな目覚めと呼んだり、スピリチュアルな人がワンネスと言う言葉でノンデュアリティを語ったり、時には引き寄...

こちらの図を使って説明しています。

fig1

この図は、フィジカルとスピリチュアルとノンデュアリティの違いを説明する為に使ったのですが、少し誤解があるようなので、改めて説明しておくと、この図は、三つの分野には共通点と個別の独立点があるということを説明する為に作成した図です。

フィジカルとスピリチュアルとノンデュアリティの三つの分野を別の観点から表現すると、こちらの図になります。

fig2

ノンデュアリティは、全てを包括します。
ノンデュアリティという全ては一つの中に、スピリチュアルがありフィジカルがあります。

別の言い方をするなら、ノンデュアリティという意識の中に、スピリチュアルとフィジカルという現象が映し出されているわけです。

悟った人が、何も食べたり飲んだりしなくなるという訳ではありません。悟ったとしても、物質的(フィジカル)な現象の中に人は存続します。悟ったとしても、スピリチュアルが消えてなくなる訳ではありません。

ノンデュアリティの道を歩む途中で、スピリチュアルをしばらく扱わなくなると言う事はあります。その後も扱わないのかどうかは、その人それぞれの選択です。

なので、悟った人でも転んだら痛いというのは変わらないし、神との対話をそのまま続けることもあります。分離の世界であるフィジカルやスピリチュアルの価値観もそのまま認めています。

ノンデュアリティは全てを包括し、そして何も排除しません。

(補足)

ノンデュアリティというのは、本来言葉で表現できるものでもなく、図で表すこともできないものですが、誰かに伝えるには言葉や図などを使う必要があります。言葉や図がノンデュアリティそのものを表しているのではなく、指し示しているだけです。言葉や図に捉われるのではなく、言葉や図が指し示しているものを、思考を用いず直感的に理解することが必要です。

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