鎌倉 長谷寺

寺院

長谷寺にしばらくぶりに行ってきました。
長谷寺は、観音様のお寺です。良いお寺です。

行ったときは梅が咲いて、春の訪れを告げていました。

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鎌倉の長谷寺の観音様は、京都の長谷寺の観音様と同じ木、つまり一本の木で彫られた、二体のお像のうちの一体です。

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本堂の中は撮影禁止なので、お像を写真で紹介できないのは残念ですが、観音様のとても良いエネルギーを持ったお像です。

お像を眺めていて、「私もこんな風になりたいのですが、どうすれば良いですか?」と聞いたのですが、それに対する答えが、「××をしなさい」とか「観音経を××回読みなさい」とか「写経しなさい」という回答ならば分かりやすいので、実践しやすいのですが、帰ってきた答えが、

「じぶんらしくありなさい」

でした。

うーん、言葉はシンプルですが、実践はとても深いです。
もう少しその意味について聞くと、

「自分でないものになろうとするな」

・・・深いです。

つまり、もう少し自分なりに解釈すると、

「自分でない何者かになろうと努力するのは、ほとけの道ではない」

「より純粋な自分自身であれ」

ということのようです。

なによりも、「純粋な自分自身であること」が大切であるということのようです。

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コメント

  1. アンジー より:

    八雲さん
    おはようございます。
    「じぶんらしく」
    とても素敵な言葉です。
    私も私らしくいたいです。
    お地蔵さんの写真
    息子は携帯の待ち受けにしています。
    思わず 微笑んでしまいますよね[E:confident]

  2. みやた より:

    純粋な自分自身。
    そういう視点で決断を進めていくといいのかも知れませんね。
    どうしても、利益や利害など、頭で考えて決断を出してしまいがち。
    自分らしく。
    いつも心に刻んでおこうと思いました。

  3. じゅんこ より:

    I love you just the way you are
    しばらく前からビリージョエルの「素顔のままで」が頭から離れなくて。
    で、この記事でしょう?
    これは偶然じゃない!私へのごほうび!って勝手に思っています。
    旧暦の新年に心に決めたことが進んでます。ただ「他人を救って自らは墓穴を掘る」ことになりそうな自分が、ちょっと残念だなあと思っていました。でも、さっき電話で「じゅんちゃん、大変だったね。ありがとうね。」とねぎらってくれた人がいて、救われました。わかってくれる人がいてくれるなら、墓穴もいいかな、って。言いたいこと言わないでいたけど、私はやっぱりそれでよいのだな、って。
    無理せずに、自分らしく。
    でも、それってあとでわかることなんだな。

  4. ruby より:

    観音様に質問をしてそれに応えてもらえるなんて、八雲さんはやはりスゴイ人です・・・

  5. 八雲 より:

    アンジーさん
    自分らしくは大切ですね。
    お地蔵さんはかわいいですね。他にも大きなお地蔵さんもありましたよ。
    みやたさん
    自分でないものに成ろうとすると、大変エネルギーを消耗してしまいます。
    自分らしくあるということは、余計なエネルギーを使わないということですね。
    じゅんこさん
    「他人を救って自らは墓穴を掘る」ことを「他人を救って自らも救われる」に転換できると良いですね。
    rubyさん
    観音様にヒントをもらうのは、本当は誰にでもできることなんです。トレーニングは必要ですが・・・

  6. じゅんこ より:

    転換。 一方的に「してやっている」感覚では救われないわけですね。お互いに。
    結局、伏せておこうと思っていた事柄は人に話してしまったし「他人を救って」なんて、おこがましいよな、と今は反省しています。
    今は心静かに、次を待ちます。
    ニュートラルでいることが「自分らしさ」につながるのではないかな、と思います。

  7. カンオン より:

    有名な観音様なので、一度お目にかかろうと参拝に伺いました。
    良い観音様とのことですが、余りに観光のテーマパークのような金儲け主義的な有様に腹立たしさを覚えました。
    その様に感じてしまうのは、私だけでしょうか?
    観音様はどうお感じでしょう
    その様なことを感じてしまう私に問題有りでしょうか
    あのような人間達の欲でさえ観音様はお許しになるのかもしれませんが、本当に救いを求める人の行くところにはおもえませんでした。
    私は常日頃永平寺別院の観音様をお参りしています

  8. 八雲 より:

    カンオンさん
    以外と知られていないのですが、社寺を維持運営するのには大変お金が掛かるということがあります。
    たとえば永平寺別院クラスの本堂を建替するとなると、「数億」の単位のお金が必要になります。
    歴史を戻れば、かつては社寺の建替・修理などは時の政府(江戸幕府など)によって拠出したお金で賄っていたのですが、戦後政教分離が進むと、社寺は立替や運営の費用を自分で賄うことが必要になりました。
    一部の人気のある社寺をのぞき、建替や修理をしたいが、それもままならないという所が多いのが現実です。
    建替・修理するときには、寄付を募れば良いという考え方もありますが、建替・修理が必要なときに、必要な金額が集まるかどうかは保障できるものではないので、社寺としては常日頃からそのための資金を蓄えておくことが求められています。
    そういった意味で、社寺が社寺としての良識に沿った金儲け(ここではあえて、金儲けと言います)をすることは、社寺を良い状態で維持運営するためには必要なことだと思います。
    長谷寺の観音様は、人の有り様にあれこれと注文をつけるような小さいお心で見ているのではなく、もっと大きな心で見ていると思います。
    私の場合、社寺に行ったときに、建物や運営などの外面(そとづら)は、気にしていません。そこに神仏がいらっしゃるかどうか、そして何を語りかけているのかが一番大切なことであると考えています。
    もし私が、建物や運営などの外面に、自分自身の感情を動かされていたとしたら、自分のレベルがまだその程度なのだということになると思います。社寺で大切なのは、外面ではなく、その本質である神仏に接することだと思います。

  9. カンオン より:

    八雲さん
    有り難うございます。
    観音様は観音様、形は人間が作る物
    本質は同じだと思っています。
    神仏はお参りする者の心の中にありと私は思います。自分らしくとは、自分の中に仏ありということではないでしょうか。
    誰かの真似をするのではなく、強いられるのではなく、自分自身の仏の心に向き直ることが真実の言葉を得られる方法だと私は思いました。
    八雲さんは、神奈川にある道了尊最乗寺という
    お寺をご存知でしょうか?
    あまり知られていないお寺ですが、本当に凄い
    所です。
    すばらしい霊場ですので一度是非足をお運びください 小田原駅から大雄山線にて終点(21分)
    駅横のバスターミナルより最乗寺行きのバスが出ています。
    奥の院には十一面観音が奉られています。
    行かれましたら、八雲さんのご感想是非きかせていただきたいと思います。

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