ない幸せ

私が目指している場所は・・・
「ない幸せ」
というものです。
「何かがある幸せ」とか、「誰かがいる幸せ」など、何かがあることの幸せというのは、それが無くなったら不幸せになってしまいます。
「何かがある幸せ」は、その何かが減ったら不幸せになってしまいます。つまり、これは何かを積み上げていくという幸せであるというわけです。
そういった、無くなったり、減ったりするものを前提とした幸せでは、自分以外の何かのものや自分以外の誰かによって自分の幸せが左右されてしまいます。
そうではなく、何もないという状態で幸せを感じられるのであれば、その幸せは無くなったり、減ったりしない幸せになります。
その幸せの状態を起点として、何かがある幸せ、誰かがいる幸せを感じられるなら、喜びはさらに大きくなります。
そして、何かが無くなっても、誰かがいなくなっても、幸せであることは変わりません。
「ない幸せ」というものを感じるのは、ちょっと難しいかもしれませんが、そこには永遠の幸せがあります。

コメント

  1. みのる より:

    この世はどうしてモノがこんなに溢れているのだろう?と
    読んで思いました。
    たとえば、、、
    テレビは見ないので僕には必要ないけれど
    テレビがなければ困る人もいますね?
    PCもなくても、それほど僕にはダメージがないけれど
    なければ困る人がいますね?
    最近の僕はモノや食、性
    に関しての欲があきらかに、なくなってきました。
    つまらないな。。。っと思うのは
    好きなモノが少ないからなのかな?って思います。
    けれども、生きていかなければならないので
    好きな何かを見つけていくのも(依存しすぎない程度の)
    課題かな?っと思いました。
    全然コメントになっていなくて、ごめんなさい。

  2. オリバナム より:

    こんにちわ。
    はい、ただ1人で、自立状態での幸せが、理想です。
    そう近づくよう、日々もがいていますw
    もがきすぎていますww
    統合のための分離期間だから余計にキツいのでしょうか?
    統合期間に入ったら(個人によると思いますが)、もっとやりやすい傾向になると、願いたいです。

  3. 薔薇子 より:

    ない幸せを感じるのは難しいですが、すごくいいな~と思いました。
    先日ちょっとした盗難にあい、気持ちが、ショックから揺れ動きながら、徐々に「別になくてもいっか。幸せかも~」というところに、最後は落ち着きはしたのですが、そこの揺れ動きがなくなる感じでしょうか。
    目指したいけれど、とても遠く感じます~

  4. 「幸せ」の意味って難しいですよね。
    昔から「あることが幸せ」ってあまり考えたことがないです。
    特に離婚してからは「生きていることが幸せ」と感じるようになりました。
    上を見て生きていくと「ある」とか「ない」とか考えてしまうのでしょうか?
    私の幸せは「今日は天気がいい」とかなんですよね。
    友人は「天然だからね」とか「苦労がないから」と言います。
    それも当たっていると思います。

  5. 八雲 より:

    みのるさん
    モノが少ない時には、その少ないモノに対する興味や感情が湧きあがりやすいのですが、溢れ返ってしまうとかえって鈍感になりやすいというところがありますね。
    なので、自分の周囲から色々なものを削ぎ落としていくということを行うのも必要かもしれません。
    オリバナムさん
    自立状態での幸せというのは、実は誰もが持っているのに、忘れてしまっているところがあります。
    自立というのを経済的自立としてしまうと、かえって見えなくなるかもしれません。
    薔薇子さん
    感じるのが難しいと思うと、難しくなりますよ。
    これは、誰しも目の前にある幸せです。ただ、それを見ようとしない人が多いというだけです。
    ミケニャンコさん
    自分の状態を「幸せ」とするのか(思うのかではなく)、それとも「幸せでない」とするのかのどちらかしかなく、中間は存在しないので、世の中的には「幸せでない」とする人が多いのは事実です。

  6. hiromi より:

    人生の中で一度だけ、きっとそれに近い幸せな状態を味わったことがあります。でも大人になった今はもう周囲の状況に影響されっぱなし。自分の信念、価値観を持っていても揺らされるときは揺らされる。もしかして、それも本当はいらなくていいものなのでしょうか。そして「ない幸せ」が解るようになるにはやはりスピリチュアルな視点は助けになりますか?

  7. 八雲 より:

    > hiromiさん

    “ない幸せ”と”ある幸せ”のどちらが根源的な幸せなのかを、再認識することが必要です。

    私たちが普通に生活している感覚では”ある幸せ”の方を強く感じやすいのですが、”ない幸せ”の方こそが根源的な姿になります。

    私たちは、肉体的な経験をするという根源的な姿ではない経験をするために、生まれてきているので、根源的ではない”ある幸せ”の方を強く感じやすいという特徴があります。
    でも、”ない幸せ”が根源的な幸せであることに変わりはありません。

    全てを放下した時に、本当の幸せを感じられるのは、信念や価値観に左右されない”ない幸せ”を感じるからです。

    “ある幸せ”は、信念や価値観に左右される幸せです。

    “ない幸せ”も、”ある幸せ”も、どちらの幸せも、私たちが肉体を持っている時には必要です。
    どちらが根源的な幸せであるのかは、スピリチュアルな視点から見ると理解できるようになります。