スピリチュアルを探究しても、悟りに到達しない

久しぶりに、悟り(ノンデュアリティ)について書きます。

スピリチュアルを探究しても、悟りに到達しない

スピリチュアルを探究しても、悟りに到達するということはありません

希望を打ち砕くようで申し訳ありませんが、スピリチュアル(霊的)と悟り(ノンデュアリティ、非二元的)とは、そもそも全く異なるものです。
以下の図で表現します。

スピリチュアル(霊的)と悟り(ノンデュアリティ、非二元的)は、本来別の領域なのですが、オーバーラップ(重なる)領域があるため、誤解が生じています。

それは、
「スピリチュアルを探究すれば、悟りに到達する」
という願望です。

多くの人が、スピリチュアルの視点から悟り(ノンデュアリティ、ワンネス)について語っているのですが、それは悟りに関する、願望を表していることがほとんどです。
単なる願望なので、それはほとんどの場合、間違いです。

例えば、悟りとは、
・神を観るとか、神に接するという、降臨体験
・私が世界と繋がっていることを体感する、神秘体験
・自分自身の問題が消滅するという、問題解決
ということが語られていますが、これらはすべてスピリチュアルの領域で人々が思う願望であり、悟り(ノンデュアリティ、ワンネス)ではありません。

悟る時は、降臨体験も神秘体験も問題解決も関係ありません。

スピリチュアルの領域は、分離体験

スピリチュアルの領域で体験することは、私という個人が存在するという「分離体験」そのものです。この体験は、貴重で重要な体験ですが、これは悟りの体験とは全く違うものです。

あくまでも、「私」という個人が存在することが、基点となって様々なことを体験する人生を歩みます。
この体験こそが、私たちがこの世界に生まれてきた理由です。

悟り・ノンデュアリティの領域は、分離が存在しない

悟り、あるいはノンデュアリティ領域で体験するのは、分離がそもそも存在しないということです。「私」という存在もありません。全ては全体性の中にあります。

また、時間も存在せず、何かを達成するということもありません。

なので、悟りというのは、到達するものでもなく、実現するものでもなく、目標でもありません。悟りは、私たちが思うか思わないに関わらず、そこに存在しています。

なので、悟っていない人は存在せず、悟っている事を実感していない人が存在しているだけです。