鶴峰八幡宮

2011/5/6 作成
2017/8/20 更新(加筆編集しました)

千葉県富津市八幡にある、鶴峰八幡宮に再訪しました。

清々しい境内がとても印象的で、おすすめの神社です。
場所は、東京湾観音の近くで、JR内房線佐貫町駅、館山自動車道富津中央ICの近くになります。グーグルマップで社名の「鶴峰八幡宮」か住所の「千葉県富津市八幡143」で調べるとすぐ見つかります。

正面駐車場方面から。

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階段を昇って行くと、正面が拝殿・本殿になり、駐車場と比べると清々しい空気にがらりと変わります。

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砂利を敷き詰めたところは、綺麗に掃き清められています。

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これだけ綺麗にするにはかなり時間と手間が掛かっているのでしょうね。

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とても清々しい空気が印象的で、お勧めの神社です。

そして、表参道を下って行くと、

新舞子海岸に出ます。

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三鶴神社(鶴岡、鶴峰、鶴谷)はいずれも、表参道の先が海に繋がっています。

今回は、なぜかここだけ行ってきたのですが、調べてみると武田つながりがありました。
神社本庁の平成祭データの由緒を少し長くなりますが、引用します。

Y1509233
千葉県君津支部
鶴峰八幡神社

御 由 緒

社伝によれば人皇四十四代元正天皇の養老二年(七一八)に、八幡浦は大風濤に見舞れ、いつなぎるともなく漁師は困窮した。この時八幡大神の神助を祈願したところその御加護があって忽ち風濤がおさまったという。そこで土地の人々は、京都の岩清水八幡を勧請し、神社を創建し、御神徳に奉謝した。その後源頼朝が安房から北上し、下総の途すがら上総のこの地を経た際、篤く奉賽し、武運長久を祈願したという。この時短刀を奉納したとも伝えられている。更に、中世室町時代に房総に進入し勢威をふるった房総武田氏の一族が、真里谷氏と名乗って、佐貫城に據った際城下の守護神としてこの八幡神社を尊崇し、その証左とし札をのこしている。この棟札は現存し富津市の指定文化財となっているが、この時の当主は武田式部大夫源朝臣信嗣となっている。この時は社殿を再興したことがわかる。続いて真里谷氏に代わってこの地方を勢力下に置き、佐貫城主を称した里見氏も、鶴峰八幡神社を崇拝し、社領三百石を寄進したという。特に里見義弘は大刀一振を奉納し祈願の誠を尽くした。近世江戸時代に入っても、佐貫城主内藤家長は三十石を寄進、次いで松平勝隆及び重治も二十石を寄進した。これは宝永七年(一七一〇)に佐貫に入府した阿部氏も、引き続いて同額を寄進した。明治時代に入ってから、十二年郷社に列せられ、二十七年には社殿が修造された。
以上

こちらのサイトに房総武田の詳しい説明があります。

千葉県市原市 バーチャル姉崎郷土資料館
真里谷氏(房総武田氏)
http://www.ne.jp/asahi/anesaki/ichihara/tenji/hitobito/takeda/takeda.htm

ところで、鶴峰八幡宮の「峰」ですが、石塔は「鶴峯」、額は「鶴峰」になっており、どちらが正式なのか迷うところですが、石塔以外は「鶴峰」を使っているのと、神社本庁のデータベースや富津市の広報などでは「鶴峰」を使っているので、こちらが正式だと判断しています。

情報源によっては「峯」の方を使っているものがありますが、ここから4.0Km南方の富津市数馬(天羽郷)の鶴峯八幡神社と混同していることがあります。

旧国名の場合どちらの八幡神社も「上総国天羽郡」になるため、混同している人がいるようです。検索するときは注意した方がいいです。

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