冬至 2011年12月22日

【冬至(とうじ:the winter solstice)】
二十四節気の一つで、グレゴリオ暦では大体12月22日頃になる。
冬至は気象学的には、太陽が冬至点に達する時をさします。(太陽の黄経が270°になる)
太陽の南中高度が最も低く、ちょうどオリオン座の帯のあたりで赤南23度半になり、太陽はまさに銀河の帯を南側で通過するところであり、銀河中心の方向に光を放つことになります。昼が最も短くなるため、古代においては冬至を1年の始まりとしており、現在でも冬至は暦の基準となっています。

古代においては、冬至の前後になると太陽の力が弱まり、人間の魂も一時的に仮死する。すなわち、陰極まれば万物みな衰えて死に、太陽の帰り来る「一陽来復」によって再びよみがえると考えられ、日本ばかりでなく緯度の高い西欧でも古くから「冬至祭」が行われてきました。
冬至に、柚子湯に入り小豆粥や南瓜を食べると、風邪をひかないと言われています。

【朔旦冬至】
旧暦(太陰太陽暦)では、冬至を含む月を十一月としているが、19年に1度、冬至の日が十一月一日となることがあり、これを朔旦冬至といい朔旦冬至は盛大に祝われた。 最近の朔旦冬至は1995年、2014年になります。

【穴八幡宮の冬至祭】
現代においては、神社で冬至祭りというのは昔に比べるとあまり行われてないみたいですが、東京23区では早稲田の穴八幡宮の冬至祭りが大きな冬至祭りです。

江戸城北の総鎮護である穴八幡宮では、江戸時代から続く、金銀融通の「一陽来復」御守を冬至から節分までの間授かる事ができます。 この御守を恵方(今年は寅卯)に向けて高い場所に御祭りするとお金繰りが良くなると言う事で大変な人気があります。冬至の日が休日と重なると、授かるには数時間待ちになることもあります。 

以下は、神社本庁発行の平成祭りデータCD-ROMの由緒から引用。
御守は当社に伝えられる福神(打出小槌)に起因するもので、この打出小槌は新編武蔵風土記に記載があるように、公卿の水無瀬家が山城国宝寺より感得したものを当社に納めたもので、聖武天皇が養老七年(七二三年)の冬至の日に龍神より授けられた宝器と伝えられています。これに祈れば無量無辺の福徳果報を生ずると言われ、年々冬至の日に金柑、銀杏、柚子を供物として祭典が行われていました。

【クリスマス(キリスト降誕祭)】
クリスマスというとほとんどの人が12月25日がイエス・キリストの誕生日だと思っているのですが、実はイエス・キリストの正確な誕生日というのは分かっていないそうです。クリスマスの正式な表記は「Christmas」ないし「Xmas」になり、これは「キリスト(Christ)のミサ(mass)」の意味で、キリスト教の儀礼であり、誕生日という意味ではありません。

クリスマスにおける祭りは、もともとは収穫の感謝と太陽の復活を祈ったり大いなる自然神あるいは祖先神を敬う祭でした。冬至祭では、ごちそうを食べお祝いし今のクリスマスと同じように、ツリーをかざっていたようです。ということで、冬至祭とイエス・キリストとの関係はありませんでした。

こんにちのクリスマスは、さまざまなキリスト教以前の信仰とキリスト教が重なり合いとけ合った結果としてできあがったものだそうで、説によると、紀元325年ニケアで開かれた公会議で、この日を救世主キリストの誕生日と決めたといわれています。クリスマス(=キリストのミサ)の日取りは人によって人為的に定められたものなのです。

冬至が12月22日ごろになるのに、クリスマスが25日となぜずれがあるのかについては、こちらの記事に書いてあります。

2012年を読み取る 【基礎知識編】
http://oyashima.way-nifty.com/lib/2011/11/2012-f0d6.html

【ミサ】
 「ミサ」という言葉はラテン語のmissaに由来し、もともとは「解散」という意味だったと言われています。司祭がラテン語でIte missa est (イテ・ミサ・エスト)と言って礼拝式の終了を告げていたことが原点だと言われており、このラテン語を直訳すると「礼拝式は終わります。行きなさい」となります。 つまり、ミサというのは神の祝福を広く伝えましょうという意味合いを持った言葉なのです。

【日本の霊的・政治的中心地と冬至日の出ライン】
宮中三殿冬至ラインを調べてみました。
冬至になると二重橋から登る日が宮中三殿の本殿へつながるラインとなります。 日の出の方向に房総半島まで行くと、ラインに対しては直角方向で2.65Kmの誤差になりますが、玉前神社があります。 一方、宮中三殿から日の出ラインを北西に目を向けると、東条会館、市ヶ谷防衛庁(旧大本営)を通り、所沢の米軍通信基地、入間航空自衛隊基地を経由して秩父市内に抜けます。
ということで、厳密に宮中三殿に合わせると、玉前神社は外れるのですが、皇居~国会議事堂という日本の霊的・政治的中心地の冬至日の出ラインということであれば、

玉前神社~皇居(宮中三殿)/国会議事堂/日枝神社~高麗神社~秩父神社

を冬至日の出ラインとすることができると思います。

【日本の霊的・政治的中心地と冬至日の入りライン】
冬至の日の入りは、宮中三殿からみると大山(神奈川県)頂上付近に日没します。大山は関東の霊山としても知られている山で頂上には大山阿夫利神社の奥宮が鎮座します。また、日枝神社もこのライン上としてもいいと思うので、冬至の日没ラインとしては、

皇居(宮中三殿)/日枝神社~大山(頂上:奥宮)

を冬至の日の入りラインとすることができると思います。

【宮中三殿(きゅうちゅうさんでん)】
皇居の森の中に南面し、賢所を中央にして皇霊殿、神殿の三殿が鎮まっており、宮中三殿と呼ばれます。
左手:皇霊殿(こうれいでん)・・歴代天皇・皇族の御霊をお祀り
中央:賢所(かしこどころ)・・・皇室の御祖神天照大御神をお祀り
右手:神殿(しんでん)・・・・・天神地祇八百万神をお祀り
また、新嘗祭が行われる神嘉殿が、この三殿と一体になって建っています。
宮中三殿・神嘉殿は、天皇陛下がお祭りを御奉仕され、神々、祖霊にお祈りを捧げられる斎場です。