京都・奈良は断層上に建てられた古都である

(1)京都・奈良のパワースポットは断層上にある

京都・奈良は良い社寺(パワースポット)が多いところとして知られていますが、そこは実は断層地です。
パワースポットと断層の関係はよく知られていますが、京都・奈良が断層地であることは知られていません。

京都市内の鴨川の東側に古い社寺が密集しているのですが、その地帯の断層を調べてみると、断層密集地帯であることが分かります。
断層というのは単に地層だけのことではなく、断層がある土地というのは、地球の奥深くからエネルギーが噴出しているということがあります。

これはすべての断層に当てはまるというわけではないのですが、パワースポットと断層というのは、密接な関係があります。

サンフランシスコに行ったことがありますが、そこに行った時の印象を一言で言うなら「伊勢神宮と同じ」ということでした。
サンフランシスコと言うアメリカ西海岸を代表する街の一つと、伊勢神宮が同じというのは、ちょっと考えにくいかと思いますが、「地下深い地層からエネルギーが吹き上がっている場所」という意味ではまったく同じ土地で、伊勢神宮は中央構造線という断層地に建っているのは、知っている人は知っているという事実です。
なので、アメリカ西海岸において、ヒッピーなどの精神性を重視する文化が起きたというのも、断層地ということで考えるなら、とても理解しやすくなります。

断層というと地震が心配ですが、文部科学省 研究開発局 地震防災研究課 地震調査研究推進本部(http://www.jishin.go.jp/main/index.html)によると、京都・奈良の断層において、30年以内の地震発生確率は、0~5%と非常に低いので、特に心配する必要はなさそうです。(http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/kinki/p26_kyoto.htm)

(2)京都・奈良の断層

以下の地図は、概ねの断層の位置を表しています。(厳密な断層の位置については、前出のページを参照してください)

Kyotonara

こうしてみると、京都の街は、東の比叡山の山脈を挟む二つの断層(花折断層、琵琶湖西岸断層)と、花折断層に挟まれた稲荷山(伏見稲荷)に特徴があることが分かります。

また、奈良の街は、二本の断層に挟まれた形になり、三輪の大神神社まで続く、山の辺の道もまた断層上の道になります。

(3)断層上の社寺

京都の東側の断層上には、多くの有力な社寺があるのに対して、京都の西側は、東に比べれば歴史的にも栄えておらず、東寺・西寺にいたっては、東寺は今も創建当時の姿で建っているのに対して、西寺は今では石碑で面影を残すのみとなっており、京都は東側が主軸となっているのが分かります。

これらについては、地質的な説明が多いのですが、断層との関係を見ると、東側は断層に挟まれた山々があり、これらが有力な社寺を麓や頂きに抱えており、断層的な要素が強いことが分かります。

特に、鴨川と東側の山との間の花折断層帯上には、多くの有力な社寺が密集し、皇室の菩提寺である、泉涌寺 (せんにゅうじ)もこの断層帯上に位置します。

East_map

※グーグルマップで見る(リンク

奈良や長岡京、京都が都になったのは、断層地というエネルギーの強い土地であることも大きな理由です。

しかし、御所はこの断層地から少し離れていますが、これは、断層地上で権力者が集合すると、エネルギーの強い土地ゆえに、権力闘争になりやすいという側面もあります。そのため、鴨川から西側のエネルギーレベルは高いものの鴨川の水によって鎮められている西側に位置しているということです。(御所が建てられた当初は、現在よりもさらに西側に位置していました)

そういったこともあって、現代の京都の街は、南北の道の堀川通りを境として、東西でエネルギー的にも大きく変わります。

一方、奈良においては、東大寺や春日大社という社寺や、平城京もまた断層上に位置することになります。また、断層上の道である、山の辺の道周辺には、石上神宮・大和神社・大神神社や天皇陵がいくつも存在しています。

京都・奈良が古都として栄えた理由の一つとして、断層上のエネルギーが強い場所であったということが言えます。

(参考)

平安京と現在の京都の街の位置関係は、こちらのページが参考になります。
※インターネットエクスプローラーでないとうまく動作しないみたいです

京都歩記 > 歴史 > 平安京の概略地図
http://kyotoaruki.okoshi-yasu.com/rekisi/heianchizu.html

コメント

  1. 京都大好き より:

    堀川通が境目というのは興味深いですね。
    ちなみに京都御所は平安京ができた当初は今よりも西にありました(千本丸太町交差点北東辺り)。
    そのため当時の御所の位置から言うと堀川通は御所の東に当たります。
    現在は烏南北の通りでは烏丸通が中心ですが、当時は千本通が中心ラインだったようです。
    その意味でも堀川通が境目というのはちょっとピンと来なかったのでコメントしてみました。

  2. 八雲 より:

    京都大好きさん
    今回は、断層を中心に調べていたので、御所の位置が時代によって移動している点は、気が付きませんでした。ご指摘ありがとうございます。
    堀川通りが境目というのは、私自身何度も京都に行ってますが、その時に感じたエネルギー的な違いなので、私が感じた現代の京都のエネルギー的な境目ということになりますね。
    もちろん、これは私の感覚なので、他の人が言った場合は、(過去世的な縁などの関係もあって)違う感覚になることも当然あります。
    御所の中心ラインが、千本通だったころは、京都の街のエネルギーも現代とは異なってくると思います。
    ※記事の内容を修正しておきました