この世界は、あなたの想い通り

あなたが体験するこの世界を創り出しているのは、あなたの想いです。例外はありません。「こんな世界にしたのは誰だ!」と叫んでみたところで、こんな世界にしたのはあなた以外には存在しません。

ここで言うあなたとは、肉体的な存在としてのあなただけではなく、根源的であるワンネスから発した全て、すなわち肉体的な存在から神としての存在までのすべてのあなたです。そのあなたが、体験する世界を創り出しているのです。

あなたの目の前に起きることは、全てあなたが作り出したことです。それは、良いとか悪いという意味付けをすることはできません。良いと思われることでも、後になってみれば悪い事であったり、悪いと思っていたことが良いことに転換してしまうということが起きるのは、目の前に起きることに、良いも悪いも無いからです。

目の前に起きることは、味わうためにあります。どんな味なのか、甘い蜜なのか、苦い薬なのか、どちらも味わうことができるということです。もし世の中に甘い蜜しかないとしたら、これほど単純な世界はありません。甘い蜜しか存在しないのであれば、甘いということすら判らなくなります。苦いがあるから、甘いということが判るのですから、どちらか一方が良くて、どちらか一方が悪いということではありません。つまり、甘いにも価値があり、苦いにも価値があるということであり、起きること全てに価値があるということです。

でも、自分の想い通りとは思えない事もあります。
しかし、全ては自分の想い通りであり、例外はありません。

自分の中で矛盾した複数の想いを持っている時には、それらが複合して現れて来るため、時には受け入れがたいような事も起きます。

例えば、「○○が欲しい」と思う人は沢山いますが、「○○が欲しい」という想いを創り出しているのは、「自分には○○がない」という想いです。

つまり、「自分には○○がない」という想いが、先に目の前の現実として現れて来るわけです。そして、「○○が欲しい」と思った時、「自分には○○がない」という想いを強化してしまうことになるので、いつまでも○○がないという事が続くことになります。

「○○が欲しい」と想うことが、「○○がない」という現実を創り出しているということであり、大人はこのような矛盾を沢山抱え込んでいます。そうして、自分の目の前に起きていることを否定することで、さらに矛盾を創り出しているわけです。

大切なのは、目の前に起きていることに対して、良い・悪いというレッテルを貼って意味づけすることではありません。

全ては自分の想いから発した、目の前に起きている事を意味づけすることなく、ニュートラルに受け止め、そしてそれを体験として味わうことが、この矛盾から抜け出すための扉なのです。