悟りに関して、あなたが信じている間違い

◆悟り・ノンデュアリティ

1.悟った人などいない

ただの一人として、悟った人はいません。悟るとは、私という幻想から目が覚めて、全体性に生きるようになることです。なので、悟った人というのは存在しないのです。

これは、二元性の思考では、矛盾していますが、悟りは二元性の理屈で考える事ではありません。二元性が脱落したところに、悟りはあります。なので、二元性の思考では理解できません。直接的理解に頼るしかありません。

私が悟るということは、ありません。悟ったなら、私が居ないのです。
私が居なくなって、全体性のみがそこには存在します。

そして、全体性(一元)から分離(二元)を見るようになり、個人という分離した存在は、見かけに過ぎないことを理解ではなく、直接知ることになります。

もし、あなたが悟った時に、自分という個人が居たとすれば、それは見せかけの悟りであり、真の悟りとは全く異なったものです。
悟りを願う個人が居ると、時にはエゴが見せかけの悟りを創り出すことがあります。その時、その人は「私は悟った」と思うのです。それは、私がエゴに操られて、悟りという幻想を見ているのであって、本当の悟りではありません。

2.神秘体験なんていらない

悟るために、神秘体験(あるいは、覚醒体験)が必要と思っている人、あるいは神秘体験があれば信じられるという人は多いですが、悟るために、神秘体験は必要ありません。
神秘体験がなくても、悟る人は悟ります。
例えば、本を紹介している、セイラー・ボブ(リンク)のケースですが、以下のブログに書いてあります。

拓の世界一周旅日記
http://yosikoakihiro.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-4220.html

上記ページから引用:
(太字赤色は私の方で編集)

私は、覚醒(エンライトメント、悟り)を求めてボブのところへやってきた。ところが彼はそんなものはないという。
そもそも彼の教えでは、「私が私だと思っている自分は存在しない」。となると、「誰が覚醒するというのか?」と彼は尋ねる。

それでも私は、それは言葉のあやで、本当はボブはどこかの時点で覚醒したに違いないと思っていた。
個人面談でその辺を聞いた。

私「あなたは、ボンベイのニサルガダッタの家へ行き、そこで彼の話を理解したと言っている。その理解というのはエンライトメント(覚醒、悟り)のことですか。」

ボブ「普通に彼の話を理解しただけだ

私「でも、本を読んだ多くの人は、あなたがどこかでエンライトメントしたのだと思っていますよ」

ボブ「誰もエンライトメントなんてしない。私たちはすでにそれなのだ。(We alreday are.)」

確かに本の中では、どこにも彼が覚醒したとは書かれてないし、彼が自分で、「私は覚醒した」と言うくだりを見たこともない。

彼はニサルガダッタの家へ行き、彼の話を理解(understand)したと書いてあるだけだ。

他にも、神秘体験や覚醒体験がなくても悟った人がいます。

あなたに、神秘体験が必要なら、それは起こります。
あなたに、神秘体験が必要ではないなら、それはなくても、悟ります。

神秘体験がなければ悟れないという「想い」は、捨ててください。それはただ、邪魔なだけです。
思い込みが強いと、必要な人に神秘体験が起こらず、必要のない人が悟れないという結果を招くことになります。

必要な人が、「神秘体験など、起きても、起こらなくてもいい」、という思いに至ったら、いつかそれは起きます。
必要でない人が、「神秘体験など、起きても、起こらなくてもいい」、という思いに至ったら、いつか悟りは起きます。

神秘体験が起きるかどうかは、源泉のプロセスに任せてください。

3.特別な人しか悟れない

こういう勘違い多いです。特別って、何が特別なんですか?

選ばれた人たちとか、過去世で修行しているとか、今生の役割とか。こういった話は全て勘違いです。まぁ、世の中に蔓延している、ウソと言ってもいいでしょう。
人は皆、ゼロ歳児の時は、「悟った、無知」にありました。つまり、そもそも悟っている訳です。

悟っているというのが、特別な状況であるという思い込みを持っている人が多いのですが、悟っているというのは、特別な状況ではなく、ごくごく自然な状況であり、その位置に立ってみれば、世の人達は、よくもまぁ、そんな意識でやっていけるものだと感嘆します。それくらい、悟った状況というのは、とても自然な状況です。

つまり、特別な人でなくても、誰でも悟ることはできるのです。
そこに、条件もなければ、区別もありません。
何しろ、生まれた時は悟っていたわけですから。

子供から大人になるにつれて、知識とか経験を色々と身に着けていくのですが、これがあることで、人は様々な観念を持つようになります。この観念が、悟った状況を見事に忘れさせてくれます。まるで、太陽をさえぎる雲のように。
そもそも空に輝いている太陽があるのに、雲で遮っているために、自分は悟れないという思い込みを作っているだけなのです。

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