先祖供養

この記事について

この一連の記事では、先祖供養を肯定・否定といった立場ではなく、ニュートラルな位置から、先祖供養とはどのようなものであるかを知ろうとするものです。

信仰の中心としての先祖供養

宗教に限らず、民間信仰なども含め、大いなるものへの信仰という形でとらえたとき、先祖供養を信仰の中心としている国は、中国(台湾・香港を含む)、韓国(北朝鮮については、資料がないため除外)、日本(琉球を含む)の三国であるということです。

もちろん、先祖をあがめるという思想については、世界的に見られることですが、先祖供養を信仰の中心に置くというのは、世界的な視点に立つなら、ごく少数派であるということです。
一般的には、先祖供養という言い方をしますが、専門的には祖霊信仰という表現がなされます。

つまり、祖霊が現世における人々に大きな影響を与えているという考え方です。

霊統と血統

人が生まれる時には、二つの系統のいずれか、もしくは両方の縁を持って生まれてくるわけですが、祖霊信仰というのは、血統のみを重視する考え方になります。

霊統というのは、その人が生まれ変わる時に、霊的なつながりにおける、現世で行うべきことや・やりたいことを行うことが重視され、血統は必ずしも重視されません。

霊統と血統は、生みの親(血のつながり)と育ての親(霊のつながり)と良く似た関係になります。

私自身で言えば、血統よりも霊統の方が非常に強く出ており、出雲系の神々との縁も大変強いものがありますが、これは血統すなわち先祖を調べていっても出てきません。

人は、みな霊統と血統の両方を、(どちらが強いかは人それぞれですが)持って生まれてきています。

出雲大社の宮司さんのように、血統と霊統が強く結びついているケースもありますが、一般にはそれほど結びつきが強いわけではありません。

つまり、祖霊信仰では、誰でも知ることのできる血統(血のつながり)を重視し、霊的な目で見なければ分からない霊統については、除外しているということになります。

人は、みな霊的な存在であること(肉体だけの存在ではない)を考えると、誰でも知ることのできる血統を重視し、霊統を除外するのは、何か大切なことを見落としているような気がします。

先祖供養は輸入文化

日本古来には、先祖を祀ることはあっても、供養するという考え方は希薄です。
また、神道においても、供養という考え方は本来ありません。なぜなら、人はみな神であり、死ねば神に戻るのですから、神に戻った人を祀ることはあっても供養という考え方はありません。

ここで、”供養”について、辞書的な意味合いを書いておくと、
【供養】仏前や死者の霊前に有形・無形の物を供え、加護を願い冥福(死後の幸福)を祈るための祭事を行うこと。(Shin Meikai Kokugo Dictionary)
となります。

日本の古い文化を調べる上で、基本的な資料の一つとして、”古事記”があります。古事記の口語訳の方になりますが、一通り読んで見ました。古事記は(皇室に関する)古い歴史を記録した(国内向け)公式文書という位置づけになりますが、ここに先祖供養という考え方は存在していません。

読んで見ると分かりますが、実際のところ皇室の歴史は、権力闘争の歴史でもあり、殺したり・殺されたりということが頻繁にありますが、そこでも供養ということは書かれていません。もし、この時代の信仰の中心に先祖供養というものがあれば、多少なりとも先祖供養の話が出てくるはずですが、そういった話はありません。

それでは先祖供養は、どこから出てきたのかというと、儒教の「先祖祭祀」が原点になるようです。つまり、先祖供養とは中国の文化であり、日本はその文化を仏教と供に輸入したということです。

本来の仏教に、先祖供養は存在しない

ここでは、釈迦が開いた仏教と、その後の長くに渡って展開・変容を繰り返してきた仏教を区別して、釈迦が開いた仏教(初期仏教とも呼ばれる)を「釈迦仏教」、その後の仏教を単に「仏教」として区別します。

釈迦仏教における基本思想は縁起(因縁)、四諦、八正道であり、簡単に言うならば、「苦」からの解放を目指したものであり、あくまでも現世における生き方を説いたものとも言えます。なので、ここでは先祖とか先祖供養というのは出てきません。

日本においては、仏教=先祖供養といったイメージが強いのですが、釈迦仏教では先祖供養については、語られていません。つまり、釈迦が目指したのは、苦からの解放であって、先祖供養ではないということです。

先祖供養のルーツ

先祖供養に関して調べてみると、「やりかた」について書いている本やサイトはいくらでも出てくるのですが、先祖供養のルーツについては、なかなか書いているものをみません。
つまり、先祖供養のルーツ・・・なぜ先祖供養が存在するのか?について、詳しく知っている人がおらず、昔からやっているから、お寺で言ってるから、霊能者が言っているから、というだけて、先祖供養はしなければならないものだと思い込んでいる人が多いのが実態です。

祖供養のルーツについて考える時に、人が死んだらどうなるのかを、昔の人はどう考えていたのかについて調べてみる必要があります。

仏教などが入っているよりも随分前の時代、人が死んだら、山に行くとか、海の向こうに行くといった考え方があり、死者と生者は、同じ世界(あるいは、同じ次元と言った方がいいかもしれない)の違う場所に住んでいるという考えがありました。つまり、生と死は同じ世界を水平移動するという考え方になります。

そのため、死者は特定の時期には、生者の元に霊魂として戻ってくるとされ、それを迎えるための行事(お盆)を行うようになりました。
この考え方は、仏教が日本に入っている以前からあるものであり、本来的には仏教とお盆は関係がありません。

水平移動することから、死者は生者に対して、強い影響力があるものと信じられ、その結果として先祖供養という形が出来上がってくることになります。
この考え方では、生者の世界を「主」、死者の世界を「従」とする考え方であり、この世界の中心はあくまでも、生者の世界であるというとらえ方から成り立っています。

本質的には、先祖供養は必要ない

ここのところ、先祖供養の話を書いていますが、「本質的には、先祖供養はする必要がない」というのが答えになります。この「本質的」とはどういうことかを理解するには、先祖供養のルーツを理解しておくことが必要になります。

われわれが、この生きている世界がどうなっているのかを理解しようとしたとき、自分自身が生きている世界を中心に考えるという傾向があります。

典型的な思想としては、天動説があります。自分たちが住んでいる場所こそが世界(宇宙)の中心であり、他の世界は周辺界であるという考え方です。これは、自分たちが住んでいる世界の知識・経験が最も多く、他の世界の知識・経験が乏しいことから起きるもので、天動説のみならず、世界観を語るときには良く見られます。

なので、生者の世界を「主」、死者の世界を「従」とする考え方が出てくるのは、(それが正しい世界観であるかどうかはともかく)、良くあることです。

前のセクションで、生者と死者の水平移動ということを書いていますが、その後の仏教や神道などの世界観では、生者と死者の関係は水平関係ではなく、垂直の階層であることが語られます。

「本質的には、先祖供養はする必要がない」と書いていますが、じゃぁ本当に不要なのかというと、かならずしもそうではないという事があり、そのあたりがこの問題を複雑にしてしまっています。

人は誰しも、自分の概念・世界観というものを持っています、場合によっては宗教観といってもいいかもしれません。

我々が生活を営んでいる、物質世界においては、自分の概念・世界観を実現するのには時間とエネルギーが必要ですが、人が霊界に戻った場合は、時間という概念は、順序性というものに置換わるため、我々の言うところの「時間の進むスピード」というのは、なくなってしまうため、あえて言うなら「時間ゼロ」の世界になります。ここでは、無限大の速度で物事が進んでいくことが可能であり、また時間を止めたり、ひたすらゆっくりと進めていくことが可能です。そのため、何万年も前に死んだ人がそのまま存在したり、物事が瞬間的に実現したりすることになります。ここでは、物質的な限界は存在しません。

そういった世界に、行くときに、人間界(生前)の概念・世界観をそのまま持ち込んでいくことも可能です。

ただし、この霊界というものについては、いろんな人が語っているので、色々と書籍も沢山あります。そして、沢山の書籍を読めば読むほど、混乱します。その理由は・・・

世界の構造は階層的

我々が生きている世界の構造は、階層的であり、さらに多次元構造を持っている。これらについて、全体像を語っている人は少なく、部分的な構造を語っている人が多く、特に霊界レベルでは、人によって語っていることが随分異なることがある。

ある人の場合は、霊界の下層部分のみを説明していたり、また一方では、霊界の上層部分のみを説明していたりするので、霊界について、色々と読めば読むほど混乱するのは、霊界の階層を区分した説明になっていないため。

これらについて、統合整理し、分かりやすくしたのが下図になります。

縦の階層構造を上位から説明すると、

【存在界】
神仏を超えた存在であり、人間界からは認識が難しいため、名前すら付けられていないレベル。個体としては存在しないため、集合のエネルギー体となる。そのため、図では球体として表現しているが、実際には3次元レベルではないので、球体になっているわけではなく、ただ広がっている高次元の意識空間のようなものである。地球上における様々な存在の根源的な階層であり、全ての地球上の存在である、神仏・天使・眷属・人間などは、ここから発している。非常に精妙で、高い周波数レベルとなる。宇宙の根源のエネルギーのレベルでもある。

【神仏界】
神様、仏様が存在するレベル。キリスト、ブッダ、アマテラスといった存在の領域。神仏は一人の個体として認識される場合もあれば、エネルギー体として、認識される場合もあるので、球体と人型の両方で表示している。神仏の中には、人間という生身の経験を持つ存在の場合は、人型としての認識がされやすく、人間経験のない神仏の場合は、エネルギー体としての認識となる。

【霊界】
霊界については、注意が必要で、色々と調べてみると、複数の階層に分かれているが、ここでは、分かりやすくするために、上・中・下という3階層で区分している。

【霊界-上】
天使や、上級霊、ネイティブアメリカンにおける動物霊といった霊界における上位存在が位置する階層。神に近い存在がここには存在する。

【霊界-中】
人が死んで生れ変る時に通過する階層でもあり、人間に直接的に働き掛けるレベルのガイドが存在する、中位階層。ここに存在するのは、肉体を持った経験のある存在が主となるが、初めて肉体経験をするために、通過する霊的存在もある。

【霊界-下】
いわゆる、成仏していない人たちのレベル、幽界と呼ぶ人もいる。
霊界については、注意が必要で、霊界を見る・感じとることが出来る人であっても、その人の世界観によって違う世界が見えてくることになります。

つまり、霊界というのは、見る人の世界観によって、霊界の一部分が見えるということです。

(続きます)

※参考文献

●祖霊信仰と他界観 赤田光男 人文書院 ISBN4-409-54018-1
赤田氏は、歴史民俗・宗教民族学の研究者であり、上記の本も研究結果を記載した本なので、ちょっと難しい本です。

●口語訳古事記 完全版 三浦 佑之(翻訳)  文藝春秋社
ISBN-10: 4163210105
古事記の口語訳としては、良く知られている本になります。
古事記について、ダイジェストではなく、全文を読んでみたい人にお勧めです。
ただ、神名がすべてカタカナ表記になっているのですが、訳者の趣旨としてはわかりますが、逆に読みにくくなっているという側面も否めないところです。カタカナと漢字の併記で記載した方が、読みやすかったかもしれません。

●ブッダ (潮ビジュアル文庫 全12巻) 手塚 治虫 (著)
釈迦仏教を学ぶ入り口としてお勧めの本です。手塚漫画なので、読みやすく理解もしやすいと思います。
ただ、漫画故にエンターティメントの部分もあり、史実に完全忠実というわけではないので、その部分は注意が必要ですが、基本的なことはきちんと押さえてありますので、お勧めの本になります。

●儒教とは何か (中公新書) 加地 伸行 (著)
出版社: 中央公論社 (1990/10) ISBN-10: 4121009894
儒教というものを、概観するためには、お勧めの本です。概観するための本なので、その中身ではなく、歴史的背景が詳しく書かれています。