
「愛情」が「憎しみ」に変わることがあります。
これは小説やドラマだけでなく、ワイドショーやニュースなどでも、私たちはよく目にします。
では、なぜ愛情は、その正反対とも言える憎しみに変わるのでしょうか。
ここでいう愛情と憎しみとは、男女や親子、職場などの人間関係だけでなく、会社や団体、国家などの組織と、そこに属する人との関係も含みます。
愛情は「欠乏感」から始まる
人が誰か、あるいは何かを愛するとき、その背景には、
「この人がいれば幸せになれる」
「この組織に属していれば、自分は必要とされる」
という思いがあります。
これは、「自分には何か足りないものがある」という「欠乏感」です。
その「足りないもの」は、自尊心、地位、尊敬、お金、自分に向けられる愛情など、人によってさまざまです。
そして、その不足している部分を埋めてくれる人や組織が現れると、
「この人がいるから自分は幸せだ」
となり、その対象に愛情を向けるようになります。
埋めてくれる間は、愛情が続く
しかし、永遠に同じ状態が続くことはありません。
人間関係も、会社も、組織も、必ず変化します。
それまで自分の足りない部分を埋めてくれていたものが失われると、「自分には何かが足りない」という欠乏感が、強く意識されるようになります。
すると、
「自分を幸せにしてくれる存在」
だった相手が、
「自分を幸せにしてくれなくなった存在」
へと変わります。
その結果、愛情は憎しみに変わります。
しかし、自分の中にあった欠乏感そのものは、何も変わっていません。
外的な状況が変化したことで、同じ欠乏感に対する感情が、愛情から憎しみに変わっただけです。
それは「愛」ではない
ここで、「愛」と「愛情」の違いが明確になります。
「自分を満たしてくれるから愛する」という愛情は、相手そのものを愛しているのではありません。
自分の欠乏感を埋めてくれることに対する情念です。
だから、相手が自分を満たしてくれなくなったとき、その情念は憎しみに変わります。
本当の愛は、相手の状況が変化したからといって、憎しみに変わることはありません。
よく、
「愛が深いほど、反対になったときの憎しみも深い」
と言われます。
しかし、愛が深いのではありません。
欠乏感が深いのです。
愛情が憎しみに変わったのではありません。
「欠乏感を埋めてくれていた情念」が、その役割を失ったことで、憎しみとして表れたのです。


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