
以前の記事「愛情が憎しみに変わるのはなぜか?(リンク)」では、人には「欠乏感」があると書きました。
では、なぜ私たちには欠乏感があるのでしょうか?
人は本来、すべてを持った完全な存在です。
しかし、その完全な世界から一歩踏み出し、完全な世界ではできないことを体験するために、私たちは肉体を持って生まれてきました。
私たちが生まれ、子供から大人へと成長していく過程は、存在としての「不完全さ」を経験するプロセスでもあります。
たとえば、子供の頃の私たちは、
「自分は小さな存在だ」
「自分には力がない」
「自分は完全ではない」
と感じます。
これは、完全な世界とは正反対の体験です。
また、私たちを取り巻く物質についても同じです。
食べ物や水、生活用品、おもちゃなどには限りがあります。
完全な世界における「無限に存在する」という状態とは対極の、「制限」や「不足」を経験することになります。
本来、これらは完全な世界ではできない体験を、地球上で経験しているだけです。
ところが、この体験は非常に強烈で、心に刻み込まれます。
そのため、いつの間にか「単なる経験」ではなく、「これこそが真実なのだ」と思い込むようになります。
その結果、私たちは、
「自分は小さな存在である」
「世の中にはモノが足りない」
という観念を持って生きるようになります。
しかし、真実はそうではありません。
自分は大いなる存在であり、必要なものは、この地球上に充分に存在しています。
私たちは、この二つの見方の間を揺れ動きながら生きています。
「自分は小さな存在だ」と感じることもあれば、「自分は大いなる存在だ」と感じることもあります。
しかし、それでいいのです。
なぜなら私たちは、地球に生まれることで、完全な世界から一歩踏み出し、「不完全」を経験するという目的を果たしているからです。
私たちは、「不完全であると同時に完全な存在」なのです。
不完全は「経験」であり、完全は「真実」です。
欠乏感は、あくまでも「経験」であって、真実ではありません。
欠乏感を経験するために、地球が存在しているのです。
※写真は工事中の日枝神社


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