スピリチュアル(Spiritual)と科学との関係について。
通常我々は、人間を肉体的な存在として認識しています。これを物質的(Material)とも言います。人間は、空気を吸って、食物を食べて、水を飲んで生きる存在なので、確かに物質的な側面があります。
しかし、物質的な人間に「心がなぜ存在しているのか」、「死んだら心はどうなるのか」、そういったことに現代の科学は明快な答えを持つことができていません。一方で、宇宙が存在していることや宇宙の構造について、科学は進歩しながら少しずつその姿を解明してきましたが、「なぜ宇宙が存在するのか?」という問いに対して、科学は答えることができないどころか、それは科学の分野の問題ではないとして、答えることそのものを避けているというのが実情です。
現代科学は、有用ではあるが、万能ではありません。
以下では、「現代科学」と「本来の科学」を分けて話をします。
「本来の科学」は、「現象を観測して、他人でも理解できる体系的な知識を得るもの」であり、その現象は何か特定のものに限定しているわけではありません。
なので、人間が「心がなぜ存在しているのか」、「なぜ宇宙が存在するのか?」という「問いを持つという現象」も科学の対象になるのですが、いわゆる科学、すなわち「現代科学」においては、一般的に以下の方法で検証されているものを扱っています。
(1)測定性 対象は何らかの方法で測定できること
(2)定量性 測定した結果は、数字で表すことができること
(3)再現性 第三者が行っても同じことが起きること
(4)整合性 対象を論理づけするときに、その論理に整合性があるかこと
ここで、定量性と再現性がポイントになるのですが、これを「客観性」という表現をすることがあります。
一方で、この定量性と再現性ができない対象の、人の心の移り変わりや、芸術などの「主観的」な世界は、定量性や再現性がないものが多く、そのために「現代科学」になじまず、科学の対象ではない、とされてしまっています。
それゆえに、世の中の現象が三つに区分されます。
上記の(1)-(4)で、
(a)測定できる対象 → 科学的対象
(b)測定できない対象 → 非科学的対象
(c)まだ知られてない対象 → 未科学的対象
上記のなかでも(b)については、「現代科学」の対象ではないため、科学の分野の問題ではないとされてしまっています。「現代科学」においては、心理学や精神医学などについては、「現代科学」からすれば、傍流であり本流ではないとされています。
物質的(Material)な対象が科学の分野であり、それ以外については科学の分野ではないという事になっており、我々が生きて行く中の精神的な世界(Spiritual)については、科学で答えを得ることが出来ないのが現実です。
しかし、生きるということは、物質的なことだけではなく、精神的なことも重要であり、精神的なことについての答えを得ることができるのが、スピリチュアル(Spiritual)であるということです。
ここでは、スピリチュアルということについては、単に霊とか神だけではなく、もっと広い範囲で、精神的なこと全般として説明しています。
物質がなぜ存在するのか、宇宙はなぜあるのか、人はなぜ生まれてきたのか、そういった根源的な問いかけに答えを見出すのが、スピリチュアルであるということです。
なので、科学を忘れたスピリチュアルというのは、単なるオカルトに過ぎません。
スピリチュアルは、科学と精神を統合するものです。
そうすることによって、人が生まれ、生活し、死んでいくプロセスにおいて、生きる意味や生き方といった人生において重要な精神的な柱となります。
これまでは、この役割を宗教が担ってきたのですが、宗教が本来の役割を忘れて、排他的や閉鎖的になったため、宗教が原因となって戦争や侵略が行われたり、迫害やテロを起こすことになり、また一方で組織を維持するために次第に硬直化してしまったため、宗教という形態そのものが時代から取り残されつつあります。
そもそも、人という存在は自由な存在であり、排他的や閉鎖的、硬直化といったものとは相いれないものです。
スピリチュアル(霊的)な知識や見識は、これからの時代は、宗教という形態から離れて、それらを語り、伝えて行くことになります。
つまり、スピリチュアルとは、人間の根源的な知識や見識として、現代科学では扱えない領域を扱うものであり、神や霊、この世とあの世、霊界、神界、オーラやエネルギー、生きる理由や生き方、といった分野に対する知見や見識のことです。
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