諏訪大社
諏訪大社について、他ではなかなか語られないことを中心に、こちらのページに書いておきたいと思います。
更新 2021.01.28
初版 2007.8.29
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諏訪大社は、長野県諏訪地域にある神社です。
諏訪湖を挟んで上社二社(前宮・本宮)、下社二社(春宮・前宮)の四社で一つの神社という珍しい形式を持っています。
下社 春宮
下社 秋宮
上社 前宮
上社 本宮
御祭神
諏訪大社の御祭神を調べると、建御名方神 (たけみなかたのかみ)と、八坂刀売神 (やさかとめのかみ)と書かれることが多いのですが、諏訪大社の御祭神として、建御名方神と八坂刀売神は後から来た神になります。
諏訪大社は、本殿を持たず、上社は守屋山を神体山とし、下社は御神木を御神体とする古い神社の形としての自然信仰の形を残しています。
そこに、後から建御名方神と八坂刀売神がやって来て、諏訪地域の発展に貢献したことから、諏訪大社の御祭神に加えられました。
そして、太古からミシャグジという精霊信仰があります。
ミシャグジは文献が少ないため、学問的には正当な御祭神として扱われていないのですが、諏訪地域の神社の分布を見れば、どちらが諏訪地域の主たる御祭神であるかは明確です。
この図は、日本各地の神社を包括する法人である、神社本庁の公式神社データベースを使って作成しています。
赤いマーカーが諏訪大社、オレンジ色のマーカーがミシャグジを祀る神社、青いマーカーが諏訪神社、他の色はその他の諏訪に関わりがある神社です。
諏訪地域にある神社は、ミシャグジを祀る神社が主体であるのは、一目瞭然ですね。
ミシャグジという名前は、漢字の当て字として御社あるいは御社宮司という名前が付けられていたりします。そのためミシャグジを祀る神社は、御社宮司社、御社山社などの名前で呼ばれています。その後仏教が中国経由で輸入され、諏訪の神様は諏訪明神と呼ばれるようになっていきます。
なので、地元では「諏訪の神様」とか「諏訪明神」という呼ばれ方が主体になります。
時代的には、縄文以前に自然信仰が、縄文時代にミシャグジ信仰が確立したのち、弥生時代になって建御名方神と八坂刀売神も祀られるようになったようですが、諏訪の人達からすれば、建御名方神と八坂刀売神は後から来た神であるので、自然信仰の諏訪明神や精霊信仰のミシャグジ信仰のほうが主体です。
守屋山
諏訪大社本宮の神体山とされている守屋山(標高1650m)ですが、この山は信州の霊峰の中心に位置し、諏訪湖を見下ろす場所にあり、まさに信州の中心的霊山と言うことが出来る場所です。実際に登った人の話では、
地図では分からないのですが、守屋山西岳に立って見ると、北アルプス、御岳山、中央アルプス、南アルプス、八ヶ岳、蓼科山、浅間山がまるで、円を描いているように囲み、守屋山はその中心の場所になり、曼荼羅の中心とも言える場所で、あらゆる霊峰のパワーを一身に集めることができるポイントです。
素晴らしい場所です。
ということです。
地図で位置関係を調べてみると、こうなります。
※この地図は守屋山と他の山々および諏訪湖の位置関係も示すため、南北を逆にしています。
普通の平面的な地図で北を上にしていると良く分からないのですが、このように立体的な地図で南北を逆にしてみると、守屋山が信州の霊峰の中心に位置することがよく分かります。
こうして見たとき、守屋山の真北に位置する諏訪湖は守屋山と対の関係であることも良く分かります。
一方、富士山は守屋山から直接見える位置にはならないのですが、富士のエネルギーは南アルプスと八ヶ岳の狭い谷間を通って、諏訪湖に到達します。諏訪から一般国道を甲府方面に走って見ると分かるのですが、常に目の前に富士山があり、まるで富士山に向かって走るようになります。
守屋山と鹿島神宮
鹿島神宮の真西に諏訪大社が位置しているというのは、諏訪大社を調べていくと必ずといって良いほど出てくる話しで、実際に地図で調べてみてもそうなっています。
しかし、もっと詳しく見ていくと、諏訪大社ではなく、守屋山になることが分かります。
鹿島神宮本殿から守屋山までは229Kmあり、守屋山頂上から東に伸ばした線と、鹿島神宮本殿はその距離わずか130mです。
一方で守屋山頂上と諏訪大社は、諏訪大社前宮では2.6Km、諏訪大社本宮は3.4Kmですから、詳しく見るなら、鹿島神宮の真西に位置するのは、諏訪大社の神体山である守屋山であると言うことができます。
また、このラインは八ヶ岳の最高峰である赤岳の頂上までわずか350mの位置を通過します。
※参考
なお、守屋山は東峰(1631m)と西峰(1650m)があり、登山口は守屋神社の脇と、峠頂上から高遠町側へ1.3Km下ったところの立石と他にも何ルートかあるようで、実際に登った人の話では、立石コースの方が良いとのことです。
中央構造線
中央構造線は、九州から関東まで日本の西半分を横断する断層のことです。
※大鹿村中央構造線博物館ホームページから引用
中央構造線は、700万年~1億3000万年前の白亜紀に、元々別々の島であったものがプレート活動の結果、合体して日本列島を形成したときの、繋ぎ目とでも言えるもので、そのため断層を境に地質や岩石の種類がまったく違っています。
茨城県内の中央構造線は、鹿島か大洗のどちらかの地下へ延びていると考えられており、上図では大洗としているようです。 下記のことを考えると、鹿島に延びていると考えるほうが良いように思えます。
中央構造線の上やすぐ近くには、鹿島神宮、香取神宮、諏訪大社、分杭峠(ゼロ磁場)、鳳来寺山、砥鹿神社、豊川稲荷、伊勢神宮、吉野、四国(八十八箇所、空海)、阿蘇・高千穂(天孫降臨伝説)、幣立神宮など古くからの聖地、霊場がいくつも存在しているのが分かるように、断層地というのは、エネルギーの高い場所であると言われます。
2002年にサンフランシスコに真弓香さんのセッションを受けに行ったのですが、サンフランシスコの街中を歩いていると、その街のエネルギーが伊勢神宮と非常に良く似ていることに気が付きました。それは、断層地特有の下から吹き上げるようなエネルギーで、 非常に強いものです。
JAXAのサイトから引用
サンアンドレアス断層は、A-B-C-D-Eを結んだ線となる
サンフランシスコがサンアンドレアス断層の上にある街であることはよく知られていますが、土地のエネルギーが伊勢神宮と非常に良く似ているのには驚きました。アメリカのピッピーを代表とする西海岸文化がここから生まれてきたということもよく分かります。
渥美半島の付け根の豊川から続く中央構造線は、諏訪湖の周辺では、守屋山・杖突峠を経て、諏訪大社・前宮の下を通って、諏訪湖に抜けて行きます。諏訪湖周辺ではフォッサマグナの地質の関係で場所が明瞭ではありませんが、その後、諏訪湖を抜けて岡谷の横河沿いを北上して行きます。
つまり、伊勢神宮と同じように、諏訪湖と諏訪大社は中央構造線という大きな断層の上に位置しているということです。断層地は、二つの異なる地質を持った土地がぶつかり合う場所であり、その大きなエネルギーが断層を通じて地表にも現れ、土地のエネルギーが強い場所になるので、そのような土地に大きな神社が建てられるというのは、自然な流れになります。
諏訪地区から中央・南アルプスの間を通る道路として、国道153号線(および中央高速道路)と国道152号線がありますが、土地のエネルギーに敏感な人は走り比べてみると、よく分かります。国道153号線を走ると、普通の道路なのですが、国道152号線はエネルギーが明らかに異なる道路、つまり断層地を走る道路になります。
国道152号線を進むと、その先に分杭峠すなわちゼロ磁場があります。ここは不思議な場所で、エネルギーが非常にゆっくりと波打っているのが特徴です。
ただ、本当に色々な(良いもそうでないも)人が来るので、そのため、人気(ひとけ)という意味では場があまり良くないというのも事実です。
ゼロ磁場近くの旧長谷村(現在は伊那市)に入野谷という宿泊施設があります。(2019/12/1から休館中)以前泊まったことがありますが、宿としてはいいのですが、こちらの施設は、エネルギーを分かる人が場のクリーニングをするということをしていないため、色々なエネルギーが溜まっているところがあり、あまりお勧めできません。
フォッサマグナ
フォッサマグナ(Fossa Magna)とは、ラテン語で"大きな溝"という意味です。これは、日本列島が、700万年~1億3000万年前の白亜紀に、形成される過程において、その部分が一度海に沈んだため、土砂が堆積して、他とは違う地質構造を持っているために呼ばれています。
フォッサマグナの西側は糸魚川-静岡構造線、東側は直江津-平塚線となります。
※大鹿村中央構造線博物館ホームページから引用
土砂の堆積は、約6000m以上にも達するため、ボーリングによる地質調査においては堆積物しか確認できないため、具体的な地質がどうなっているのか、断層がどこになっているのかについては、あまりよく分かっていないのが現状です。 諏訪湖の周辺はフォッサマグナの西側の糸魚川 -静岡構造線に接しています。
諏訪湖と富士山・立山
上記の守屋山の図でも表示していますが、天気が良いと諏訪湖を通して富士山を見ることができます。
GoogleやYahoo!で「富士山 諏訪湖」をキーワードにして検索すると、いくつも出てきます。
諏訪湖から見ると、山々の稜線がちょうど下がったところに、ぴったりと富士山が見えます。
冬場の空気の清んだ時期が一番良いです。そして、ポイントとしては、以下の図のように、ハーモ美術館前が一番良いようです。
下の画像は上記の地点からの眺めをGoogle Earthで表示したものです。
また、諏訪湖からの富士山の眺めは、 葛飾北斎の富嶽三十六景の「信州諏訪湖」にも描かれています。
アダチ版画のサイトから引用 http://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/item/hokusai058.htm
上図は、下諏訪から見た富士山になります。手前中央に見えるのは、小さな祠(ほこら)で、湖の左奥に見えるのは、高島城になります。その先に、富士山が描かれており、諏訪湖の静かな情景が描かれています。
実際にその場に行ったときの写真がこちら。
雲があるので、ちょっとわかりにくいと思いますが、谷間に富士山が見えます。
富士山の部分を拡大するとこんな感じです。
そして、大きく見れば、富士山~諏訪湖~立山のライン上に諏訪湖が位置していることが分かります。
上記の図だと少し分かりにくいので、南北を逆にした3Dで見てみると、
信州には多くの山々があるのですが、このラインはそれらの山々のちょうど間を突き抜けるラインになっており、守屋山と同じように、山々のエネルギーを諏訪湖が集める構造になっています。
諏訪湖と日光東照宮
諏訪湖の夏至の日出ラインには日光東照宮があります。
東照とは、東の浄土から薬師如来の瑠璃光で現世を照らすという意味で、家康公は薬師如来信仰があったので、東照大権現という勅諡号を時の天皇から授かっている。
夏至の朝日が日光東照宮と武神の神社である諏訪大社四社の中心の諏訪湖を一つに結ぶとは、あまりに話が出来過ぎているとすら思える。
家康と天海はこのことを知っていて東照宮をここに建てたのだろうか?
夏至の日入ラインは上高地・明神池の穂高神社奥宮があり、この地域一番の霊山である穂高岳の上高地明神池という良い場所に立つ穂高神社奥宮のパワースポットと繋がっていることになります。
諏訪大社各社
上社 前宮 本宮
諏訪大社本宮の建ち方は普通の神社と違っており、通常神社は南面するか東面するのが一般的なのに大して、北面しているのが謎であるということが良く言われていますが、守屋山と前宮の関係を見れば一目瞭然で、きちんと意味のある方向を向いていることがよく分かります。
まず、本宮と前宮と神体山である守屋山との関係を見ると、直角三角形の構造を持っていることが分かります。
地図を見て、ちょっと線を引いてみればすぐにわかることなのですが、なぜかこの三角形について書いた文献やHPは私が探したところでは皆無です。上図でみて分かるとおり、実にシンプルな構造なので、他に語っているひとが居ないことの方が謎ですね。
前宮の位置関係を見ると、参拝の方向がまっすぐ、守屋山の山頂を向いており、前宮が神体山である守屋山を祀る里宮であることがよく分かります。
そして、本宮ですが、なぜ北西に面するのかを議論する前に、この図を見れば一目瞭然ですね。本宮は前宮を通じて、守屋山のエネルギーを受け取ると同時に、側面からも守屋山のエネルギーを受け取る構造になっているのがよく分かります。90度という角度はエネルギーを本宮で交差させることで、強い場を作るというものです。
本宮の正面は上図の右側に位置する鳥居で、その正面の道の先には一の鳥居もあります。まさに前宮に繋がる構造になっています。
現在だと図の上の方(北側)に駐車場やみやげ物店が整備されている関係から、そちらから参拝する人も多いのですが、そちらは、本宮から見れば脇つまり側面になります。その証拠に、北側には以前は鳥居すらありませんでした。
本宮には、上図の右側から左に続く廊下があり、途中で左側に拝殿への門がありますが、これも前宮との関係を考えれば納得できるものです。つまり、前宮経由で繋がる神体山の守屋山のエネルギーを廊下を通じて引き込んで、門から拝殿に引き込む構造になります。なので、あの廊下が必要になるわけです。
先日諏訪大社本宮に行くと、勅願殿での祈祷が始まっていました。勅願殿とは、諏訪大社本宮内で、守屋山に正対する祈願殿のことで、かつては、正面の拝殿とともに勅願殿も重要な位置を占めていました。
それは、前記の守屋山と前宮・本宮の関係を見ればわかることですが、長らく勅願殿は祈願のできる場所ではなかったのですが、勅願殿でも祈願祈祷ができるようになったことは、守屋山と諏訪大社の関係を考えれば歓迎すべきことですね。
上社 本宮 硯石
あまり知られていないのですが、諏訪大社には硯石と呼ばれる霊石があります。
この写真でもわかるとおり、宮司さんが拝礼していますし、囲いもありますから、諏訪大社の中でも重要な霊石であることはあきらかです。
この硯石については、決定的な回答を出しているのではありませんが、歴史的な経緯については以下のページが参考になります。
本宮「二つの参拝ライン」 ver30.7.14
http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/zatugaku/haiheiden.htm
諏訪大社は、現在は出雲系の神様を祭っていますが、過去においては土地神様を祀っており、それらの歴史が諏訪大社の拝礼という形で残っています。なので、諏訪大社を理解するためには、タケミナカタ以前の歴史についても調べて行くことが必要です。
下社 春宮
春宮と秋宮は守屋山ではなく、諏訪湖と諏訪湖に隣接するもう一つの山が鍵になります。
春宮は、いまでは建物が立て込んでいて見通しがよくないのですが、鳥居の下に立って、良く見ると、目の前の道路の先にうっすらと諏訪湖を見ることができます。春宮の参道は鉄道建設などで少し曲がっていますが、まっすぐと諏訪湖に向かっています。つまり、春宮は諏訪湖に向かう神社であることが分かります。
しかもその参道ラインは、春宮の大門すなわち一の鳥居あたりで、富士山~立山の富士パワーラインを交差します。ここにも、富士山と諏訪湖のエネルギーの交差点が存在します。
現在の湖岸線は過去に比べて前進しており、かつてはもう少し後退した位置が湖岸だったとのことなので、春宮から見れば、湖岸までの一直線のほぼ中間点に一の鳥居があり、そこを富士~立山のラインが交差することになります。
下社 秋宮
春宮が諏訪湖に面するのに対して、秋宮は御射山社という山宮に対する里宮という位置づけになります。
秋宮の社殿が向かっている方向を辿っていくと、秋宮の山宮である御射山社にたどり着きます。
御射山はもとは、霧ケ峰の近くにある八島ケ原湿原に隣接する形で位置しており、ミシャグジ信仰とともに、諏訪大社の元形(アーキタイプ)であることは、専門家にはよく知られていることです。
こうして見ていくと、現在は四社でひとつのグループを形成しているものの、本来は
守屋山:上社・前宮および本宮
諏訪湖:下社・春宮
御射山社:下社・秋宮
という3つのグループはそれぞれ性格を異にしているものであることが分かります。
こうしてみると、諏訪大社はもともと、別々の神社だったのが、後年になって一つに成っていったことがわかります。
というのも、諏訪湖には冬の風物として御神渡り(おみわたり)があり、冬の間氷結した諏訪湖が日中夜間の温度差により湖面に長い亀裂が入るもので、上社の建御名方命(たけみなかたのみこと)が、下社の妻神である八坂刀売命(やさかとめのみこと)に会いに行った跡とも言われていますが、 御神渡りの神事を行うのが、諏訪湖をはさむように四社を有する諏訪大社ではなく、元は現在の高島城あたりに位置していた八劔神社であることを見ても、元々諏訪大社は四社ではなかったことが想像されます。
from八ヶ岳原人
諏訪大社と諏訪神社 > 八劔神社 諏訪市小和田
https://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sanpo/yaturugi.htm