
「神社に呼ばれる」という感覚は、普通の人には少し分かりにくいかもしれません。
私自身、これまで全国各地の神社を参拝してきましたが、ほとんどは「呼ばれて行く」という感覚でした。
ここでいう「呼ばれる」というのは、実際に声が聞こえたり、「ここへ来なさい」と言葉で伝えられたりするわけではありません。
もっと感覚的なものです。
「なぜか、ここへ行くことになっている」
そんなことが自然に湧いてくるのです。
そして、もう一つ大切なのは、「行かなければならない」という感覚ではないということです。
「行くべきか、どうしようか」と悩むこともありません。
「そこへ行って当然」という感じなのです。
「呼ばれる」と「行く」の間に、迷いがない状態です。
私はよく、こんなたとえ話をします。
おなかが空いたら、ご飯を食べますよね。
「おなかが空いた。さて、ご飯を食べるべきだろうか?」
と悩む人はいないと思います。
「何を食べようか」と悩むことはありますが、それは楽しい悩みですよね。
でも、
「おなかが空く → ご飯を食べる」
という流れそのものについては、普通は迷いません。
私にとって、「呼ばれる」という感覚は、それにとても近いものです。
「呼ばれる」と「そこへ行く」の間に、ほとんど迷いがないのです。
そのため、「呼ばれる」という言葉が本当に正確なのかと言われると、少し違うようにも思います。
ただ、今のところ、この感覚を表現するのに一番近い言葉が「呼ばれる」なので、私はそう表現しています。
登山家が、
「山が呼んでいる」
という言い方をすることがあります。
私は、その感覚がとてもよく分かります。
2003年~2004年頃には、そうした感覚で年間で300か所以上の神社を巡っていました。
もちろん、単純に「神社に行きたい」という気持ちだけであれば、これほどの数の場所を巡ることはできなかったと思います。
「次はここへ行こう」と自分で計画していたのではなく、
「そこへ行くことになっている」
という感覚があり、その流れに従って動いていました。
だからこそ、年間300か所以上という数になったのだと思います。
私にとっては、それが「呼ばれる」という感覚なのです。


コメント
八雲さま
こんにちは。
呼ばれる感覚、なったことがないので、どんなものなのか体験してみたいなと、前から思っています😊
ところで、「山に呼ばれる」ように感じる登山家や、その感覚がなくても足繁く登山している人は、もしかしたらスピリチュアル的に上とつながっていて、ほんとに山(の神的なもの)から呼ばれいる人が多いのかも?しれないですね。