神仏の世界に時間は無い

スピリチュアル

我々の日常では、時間というものを気にしながら生活しており、時間が存在するのは常識となっています。

そのため、時間というものは普遍的に存在しているという思い込みがあります。

ところが、物理学の世界では時間は存在しないというのが常識化しつつあります。

時間は存在しない
「時間は存在しない」はイタリアで18万部発行、日本で7万部突破、35か国で刊行予定の世界的ベストセラーです。著者はイタリアの著名な物理学者。時間は存在しないということを物理学的にあるいは哲学的に解説しています。物理学の数式も突き詰めていくと...

物理学で時間に相当するものは「変化」であると言われています。
私たちが生きている世界は、常に変化しており、その変化を観測する人間が時間というものを生み出しています。

と言うと、「時計を見ると時間が存在しているではないか。」という意見もあると思いますが、時計の内部では何が起きているのかというと、やはりこれも「変化」です。時計は「変化」を数値に置き換えて表示しているだけです。

つまり、肉体を持って生きている私たちが、変化を観測することで、時間を生み出しているわけです。

一日という時間は、朝太陽が昇るところから始まって、再び朝太陽が昇るまでが一日です。これは地球と太陽の軌道上の位置関係が変化することです。
一日の間の変化を12等分すると1時間になり、我々が日常的に接している時間になります。

神仏の世界でも変化はありますが、それを時間というものに還元せず、そのまま変化として観ているので、神仏の世界には一定の間隔で一方向に進む時間というものがありません。

そのため、時間という概念に縛られている人間とは違い、過去/現在/未来を同時に俯瞰することができます。

また、時間が存在しないので、遠いとか近いという距離という概念もありません。

距離は、
距離 = 速度 × 時間
で表されますが、時間が存在しないので、距離というものもありません。

神仏は遍在する(どこにでも存在する)と言われますが、それは距離がないからどこにでも存在するということです。
距離が存在すれば、あそこ(遠い所)に存在して、ここ(近い所)には存在しないということが言えますが、距離がなければあそこ(遠い所)もここ(近い所)も距離に関係がなく同じ場所になります。

私たち人間は、元は神仏の世界に居ました。そこから時間や距離というものが存在する世界を作り出すことで、遠いとか近いとか、時間が存在するという神仏の世界では経験できない事を日々体験している存在なのです。

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