世界は三つに分かれている

スピリチュアル◆悟り・ノンデュアリティ

1.物質的世界

私たちが子供から大人になる過程で、この世界は物質的な世界であるという認識から始まります(下図の一番下のボックス)。この物質的世界という認識で一生を終える人も沢山いて、こちらの認識の方が社会常識としては、むしろ一般的です。

アインシュタインの相対性理論からは、物質とエネルギーが等価であるという有名な公式(エネルギー = 質量 × 光速の二乗)がありますが、ここで言うエネルギーというのは、物質と等価なエネルギーであり、世界の見方としては物質をベースに見ているので、物質的世界観ということになります。

2.エネルギー的世界

スピリチュアルな知識が浅いうちは、まだ物質的世界観を持って世界を見ている状態ですが、深めて行くに従い、この世界は物質が中心ではないということに少しずつ分かってきます。

オーラやチャクラが肉体に付随しているものであると考えているうちは、まだ理解が浅い状態です。オーラやチャクラと肉体との関係は、チャクラから始まって、オーラが形成され、オーラから肉体が形成されるという順番です。つまり、オーラやチャクラといった、エネルギーが先で、肉体が後という順番で私たちの身体は形成されています。

また、魂(Spirit)とかハイアーセルフ(Higher Self)などと呼ばれるもの・・・私は、本胎と読んでいます。これは、肉体に付随存在するものではなく、そもそも本胎が先にあって、肉体が生まれ出て来るものです。

本胎+肉体が人間であり、本胎のみで存在しているのが、上位存在と言われる、神や天使や仏やスピリットガイドなどと呼ばれる存在です。つまり、我々の元の姿は神であり、人と神は肉体を持っているかどうかの違いでしかありません。肉体という物質がないということは、エネルギー体であるということであり、我々の元の姿は、エネルギー体であるということです。

この認識を持つと、上図の真ん中のボックスの世界観になります。
つまり、全ての現象は、エネルギーが物質として現れて来るということです。

スピリチュアルという言葉は、様々な人が、様々な意味で捉えられ語られていますが、一番下のボックスの物質的世界観という立場でスピリチュアルを語る人もいれば、真ん中のボックスのエネルギー的世界観という立場でスピリチュアルを語る人もいます。
物質的世界観のスピリチュアルでは、この世界や人間は物質であり、それ以外の何かがあるという見方です。 一方、エネルギー的世界観のスピリチュアルでは、人間はエネルギーが元であり、そこから肉体が創られているという立場になります。
物質的世界観が物質に注目しているのに対して、エネルギー的世界観では、物質とエネルギーの両方に注目しているので、より広く世界を見ていることになります。

一般的にスピリチュアルという言葉は、上図の一番下と真ん中のボックスの両方を含んだ立場になります。

ここまでは、この世界の見方が物質からエネルギーへと拡張されていくので、比較的理解しやすい領域になります。また、探究することで、さらに奥深い世界を見ることも出来るので、この領域のスピリチュアルを追求・探究する人が沢山います。

この立場を、私は分離のスピリチュアルとも呼んでいます。

スピリチュアルでは、よくワンネスという言葉が使われたりします。全ては元を辿れば一つであるという意味ですが、この言葉をよく使っている人はこの世界は分離であるという立場に無意識的に居るということです。
分離からワンネスを見るからこそ、言葉として使う必要があるわけです。

私たちは、空気の中に生きていますが、空気があることがあまりに当然だと、いちいち空気のことを気にすることもないので、言葉に表すということは普段ありません。ワンネスも同じで、全てが一つであるということを、完全に信じている場合、いちいちワンネスと言う言葉を使う必要が無くなってしまいます。それ故に、このブログではワンネスという言葉が使われることが少なく、使う場合も説明するために使うだけです。

3.全ては一つ

全ては一つ(ワンネス)というと、人はみんな繋がっているという意味で理解している人がいますが、これは間違いです。全ての森羅万象が一つであるということです。つまり、人も動物も植物も、あなたが座っている椅子も、あなたが見ているパソコンの画面も、家も車も、山も海も、太陽も月も星も宇宙も全てが一つであるということです。

全て例外なく一つです。

人はみんな繋がっているという感覚は、分離意識が「実は一つなんだ」という理解をしているのであって、それは分離の中に生きているということです。
しかし、真実は、全てが一つのものが、「分離して見えている」ということです。

この、「実は一つ」と「分離して見えている」は、よく似ているように見えますが、実はとても大きな違いがあります。

私たちは、子供から大人になる過程で、「分離は絶対的真実である」という暗黙の前提があり、その上に、知識や価値観や思考、常識や法律などを形成してきています。
全ては一つをただの知識として知るだけなら、この暗黙の了解はそのまま継続しますから、世界観をほんの少し拡張するだけであり、世界は変わらずそのまま続いていくだけです。

それは、分離感覚の世界観である、一番下と真ん中のボックスのどちらかに立って、ワンネス(全ては一つ)を垣間見ているだけであり、真の理解ではありません。

図面2

全て例外なく一つというのは、あなたとあなた以外の世界も全ては一つであるということですから、あなたという個人が実は存在しないということです。
個人が存在しないというのが、全ては一つであるということの重要なポイントです。

私たちの世界では、私という個人が存在するという、分離が暗黙の前提ですが、この前提が実は幻想にすぎなかったということです。
つまり、あなたの知識や価値観や思考、社会的な常識や法律、これらが幻想を前提とした、ただの思い込みでしかなかったということです。

全てが一つを単なる知識ではなく、真実として理解する時、世界観が根本的に変わります。そして、これを受け入れた時、真の失うことのない自由と安心がそこにはあります。ブッダやイエスなど歴史的な聖人が伝えていたのは、この自由と安心です。

それを理解するには、この世界は現実であるという幻想から始まって、この世界は幻想であるという認識に至り、そして、幻想こそが現実であるという認識に至るという、これまでの常識や知識を180度転換し、さらに180度転換するということが必要なため、簡単に手軽に出来ることではありませんが、全ては一つを真実として受け入れたら、それをするだけの十分すぎる理由があることを理解することになります。

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