(その3)から続き(リンク)
再構築の最初のテーマなので、前置きが長くなってしまいました。
ノンデュアリティにおいては、存在する余地すらない過去生ですが、興味深いのがノンデュアリティのティーチャーの一人である、アジャシャンティの著書に収録されている彼へのインタビューで、輪廻転生を思い出したときの話を語っており、彼の場合でも体験として過去生が存在していると言えます。
また、ブッダは過去生については、「無記」として肯定も否定もせず沈黙を続けましたし、他にも、肯定も否定もしないティーチャーが存在します。
彼らの教えや、自分自身のリアルな体験などを総合して見て行くと、「過去生は、存在するも存在しないも、どちらも正しい」という答えに辿りつきます。
これは一見すると矛盾した答に見えますが、その人がどの立ち位置に居るのかで、答は変化するということです。
(1)物質世界(フィジカル)
人は生まれ、やがて物質世界に生きていることを子供の時に認識します。なので、自分と言う存在は、肉体に精神が宿っているということになり、その認識においては、過去生が存在するのかどうかは、はっきりとした答えを持たないことになります。
(2)精神世界(スピリチュアル)
子供はやがて成長し、神仏や天使など物質を超えた存在があり、この物質世界の延長線上にスピリチュアルな世界があることを知ることになります。スピリチュアルな認識では、肉体を超えた存在することを知り、それを魂・ハイアーセルフ・大いなる存在など様々な概念と名前で呼ぶようになります。それらの存在は永遠の生命であり、肉体はそれらが宿るための器であるという理解をします。器としての肉体はやがて滅んで行くのに対して、永遠の生命は永続することから、やがて生まれ変わりということが存在するという事に気が付きます。
なので、スピリチュアルな世界観においては、生まれ変わりつまり過去生が存在することは、必然であるということになります。
スピリチュアルな世界観においても、全ては一つであるワンネスという考え方が存在します。ただし、自分が深い部分で世界をどう見ているのかというと、分離していること、つまり私という個人が存在しているということが、無意識的な前提となって思考したり行動したりしています。
幸せになりたい、成長したい、幸運な人生にしたい、他にも沢山ありますが、これらの想い・願いというのは、私という個人が存在していることを無意識的な前提にしています。つまり(私は)幸せになりたい、(私は)成長したい、(私は)幸運な人生にしたい。また自分ではなく、相手の人や社会がそうなって欲しいという想いも、やはり相手や社会において個人が存在することが無意識的な前提になっています。
なので、この段階では全てが一つというワンネスは、仮に信じていたとしても、知識として信じているにすぎず、思考や行動においては個人が存在しています。
この世界が真にワンネスであれば、個人という分離された存在はありません。
(3)一元世界(ノンデュアリティ)
ノンデュアリティにおける主要な前提の一つとして、「全ては一つであり、個人など存在しない」があり、また「時間は存在しない」があります。
この前提に立てば、個人というものは存在しないのであるから、生まれ変わりは存在せず、時間も存在しないのだから、過去生もあり得ない。ということになります。
しかし、これはスピリチュアルな体験とは矛盾しているように見えます。
さらに、フィジカルな感覚とも一致しません。
これは、フィジカルな立場あるいはスピリチュアルな立場からノンデュアリティを見ているから起きていることです。
つまり、フィジカルな体験を現実であり真実であると信じている。あるいはスピリチュアルな体験を現実であり真実であると信じているという立場から見ているということですが、それは間違った見方なのです。
立場を矢印で表すと、
フィジカル → ノンデュアリティ
スピリチュアル → ノンデュアリティ
となりますが、これは間違った見方なのです。
私たち人間や自然は、全てが一つというノンデュアリティという源から発して、スピリチュアルやフィジカルな“現れ”として出てきているのですから、立場を逆転して見る必要があります。
つまり、
ノンデュアリティ → スピリチュアル
ノンデュアリティ → フィジカル
あるいは、
ノンデュアリティ → スピリチュアル → フィジカル
という見方で、捉える必要があります。
つまり、ノンデュアリティが元で、スピリチュアルやフィジカルな体験は結果であるということです。
例えば、石油製品は原油から様々な製品が生み出されて行くのですが、綺麗なプラスチック製品を見てドロドロの原油を連想することが出来ないのと同じで、結果から元を想像することは出来ないということです。
スピリチュアルやフィジカルという結果から、元であるノンデュアリティを思考すると矛盾が起きるのは、そういう理由です。
なので、スピリチュアルな体験である過去生については、ノンデュアリティの立ち位置から過去生について見て行く必要があります。
(その5)に続く(リンク)
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