物質的な世界観においては、わたしというのは肉体的な分離した存在としてのわたしでしかありませんが、"スピリチュアルな目覚めの道"を(意図しているにせよ、意図していないにせよ)歩んでいる時のわたしは、物質的な世界観におけるわたしとは大きく異なります。
わたしたちは、ワンネスという領域から発して、エネルギー的神の領域を経由し、肉体的な存在である人間としてこの世界を生きていますが、"スピリチュアルな目覚めの道"において、わたしとは、ワンネスという全てのレベル、エネルギー的な神のレベル、肉体という人のレベルの全てを含んでいます。
わたしとは、全てであり・神であり・人である。
わたしとは、全てであり・分離した存在である。
わたしとは、アルファでありオメガである。
常にこの意識でいることが、"スピリチュアルな目覚めの道"を進む鍵となります。
※アルファ、オメガはギリシャ語における最初と最後の文字のことで、英語ならA, Zになる。アルファでありオメガとは、全てを意味する。
コメント
すみません。質問です。
、"スピリチュアルな目覚めの道"を(意図しているにせよ、意図していないにせよ)歩んでいる時のわたしは、物質的な世界観におけるわたしとは大きく異なります。
八雲さんは「物質的な世界観に」帰ってきたくなくなる、ことはないのでしょうか。
>> ikeda さん
スピリチュアルな目覚めの道を進んでいる時は、元の世界を垣間見るだけでも、物質的な世界より、向こうの世界の方が本来の姿であり、自然な姿であることが判るので、帰ってきたくなるということはなくなります。
ただ、これまで長年生きてきた習性で、つい物質的な世界観で行動したり、思考したりしてしまうことはありますが、それもだんだん少なくなって、いずれは無くなってしまいます。
ありがとうございました。
「向こうの世界の方が本来の姿であり、自然な姿であることが判る」
なるほどです。