生まれ変わりは本当にあるの?

生まれ変わりがあるのか聞いてみた

質問者の名前は、内藤四太郎(ないとう よたろう)。男ばかりの四人兄弟の末っ子。スピリチュアルな事に興味はあるが、日常に追われる生活。ざっくばらんな性格。落語の与太郎と読みが同じなので、良くいじられる。関西出身だけど、関東生活が長い。

色んな人に聞いてみると、生まれ変わり(輪廻転生)が在ると言う人もいれば、無いという人もいる。また、自分の前世はマリー・アントワネットだという人もいるけど、どれが本当なのか良くわからん。

なので、判っていそうな人に聞いてみた。

●チベット仏教の高僧ダライ・ラマ法王が日本に来た時に聞いてみた
質問者:生まれ変わりは、存在するのでしょうか?
ダライラマ:そんなことより、今の人生をどう生きるかが大切です。
はぐらかされた?あるの?ないの?どっちなの?

●菩提寺の住職に聞いてみた
質問者:生まれ変わりってあるの?
住職:死んだ後のことなんか分りませんからね~
おい!住職がそんなんで大丈夫か?

●インドの聖者マハラジに聞いてみた
質問者:生まれ変わりはあるのでしょうか?
聖者:私は、生まれたことも死んだこともない。そんなものは存在しない。
なんだそれ!わけわからん!

●スピリチュアル・カウンセラーに聞いてみた
質問者:生まれ変わりってあるんですか?
カウンセラー:はい、あります。あなたの前世は・・・

うーん、4人に聞いて4人とも答えが違うのって、一体どういうこと?

生まれ変わり(輪廻転生)については、霊的なことに詳しい人に聞いても、それぞれで答えが異なるのには理由があります。その理由は後述します。

ここでまず答えを整理すると、
・あつかわない派
・わからない派
・ない派
・ある派
の4つに分れます。

答えが異なるのは、質問に答える人の霊的な立場が異なるからです。
立場が異なるから、生まれ変わりをどう扱うのかが変わり、そのため答が異なります。

その違いと、生まれ変わりが本当にあるのか、順次書いていきます。

チベット仏教の高僧ダライ・ラマ法王の話

四太郎:生まれ変わりは、存在するのでしょうか?
ダライ・ラマ:そんなことより、今の人生をどう生きるかが大切です。

四太郎:なんか、はぐらかされた気分。
八 雲:そういう気分になるかもしれませんね。でも、ダライ・ラマさんは、まっすぐ答えていますよ。
四太郎:はぐらかしておいて、なんで、それがまっすぐ?
八 雲:確かに、生まれ変わりがあるかどうか、答えていませんね。チベット仏教では、生まれ変わりを扱わないことにしているのがその理由です。
四太郎:ええっ?扱わないって、どういうこと?
八 雲:仏教の歴史は、ブッダから始まったのというのは知ってる?
四太郎:聞いたことはあるけど・・・
八 雲:ブッダの教えを出来るだけ簡単に言えば「今を生きる道」なんです。
四太郎:生まれ変わりについて、言ってないの?
八 雲:ブッダは生まれ変わりについては、「無記」で通しました。
四太郎:何それ?

私たちが、仏教と思っているのは、実は本来の仏教ではありません。
日本における仏教とは、覚者ブッダの教えが、日本に伝来する過程で、それぞれの土地の伝統文化と習合して出来上がったものです。日本の仏教は中国の道教の影響を受けており、お墓を重視するのはその一つですが、本来のブッダの教えにはお墓というものがありません。
そのため、仏教は本来のブッダの教えとはずいぶんかけ離れてしまいました。
ブッダの教えが、多く残っているのがチベット仏教だと言われます。

ブッダの教えは、輪廻から脱して、涅槃という境地に至ることです。
人は、輪廻という生まれ変わりのサイクルの中にあり、そこから脱して、今を生きることが悟り(涅槃)であるということです。
生まれ変わりから、どうやったら脱することができるのかを教えているのです。

脱する元の生まれ変わりについて、色々議論するということは、生まれ変わりという罠に陥ったまま脱することができない、ということになってしまいます。
なので、「無記」という「問いに対して回答を避ける」立場を取っています。

ダライ・ラマの回答はこの「無記」をそのまま実践しています。

もし、生まれ変わりというものが存在しないのであれば、「ない」という回答になります。生まれ変わりが存在するからこそ、「無記」という立場になるわけです。

これは、生まれ変わりが存在するという、消極的な肯定ということです。

菩提寺の住職の話

四太郎:生まれ変わりってあるの?
住 職:死んだ後のことなんか分りませんからね~

四太郎:住職が、死んだ後の事なんか判らんって、いったいどういうこと?
八 雲:住職が、悟った人であるとは限りませんよ。
四太郎:悟ったから住職になったのではないの?
八 雲:住職、つまりお坊さんが、悟った人であるという保証はありません。
四太郎:お寺のお坊さんは、みんな悟っていると思っていたけど・・・
八 雲:残念ながら、みんな悟っているわけではありません。
八 雲:住職という職業は、多くが先代からの継承です。悟っているかどうかよりは、お寺という事業を継続できるかどうかの方が重要です。
四太郎:そうなんや・・・

お寺の歴史を見ると、お寺が創建された頃から現代まで、お寺のお坊さん(住職)が悟っていないということは、珍しいことではありません。
お寺は本来は修行の為の仕組みであったのが、時の権力者が民衆を管理する為の仕組みとして檀家制度を作り利用しました。そのため、お寺の数を増やす必要があり、住職が悟っているのかどうかに関わらずお寺を増やして行ったのが大きな要因です。これは、現代に至るまで続いています。
そのため、死後どうなるのかについて、上記のような回答をする住職がいるのも事実ですが、そんな住職は、修行不足か勉強不足だと、私は思っています。

四太郎:じゃぁ、住職というか、坊主といっても、単なる生臭坊主?
八 雲:みんなが生臭坊主ということではありません。悟りには至ってないけど、真面目な住職さんも沢山います。
四太郎:うーん。どうやって見分けるの?
八 雲:簡単な見分け法があればいいのですが、見分けるためには、住職さんが普段何を言ってるのか良く見る必要がありますが、ちょっと難しいですね。

現代において、多くのお寺は仏教本来の目的である悟りへ向かうためのサポートという機能を失って、葬式などの霊的な儀式を行うためのものになっています。
そのため、本来の悟りや救いといった機能を果たしているお寺は残念ながら少ないのが現実です。

インドの聖者マハラジの話

質問者:生まれ変わりはあるのでしょうか?
聖者:私は、生まれたことも死んだこともない。そんなものは存在しない。

四太郎:私は、生まれたことも死んだこともないって、なにそれ?
八 雲:確かに、その話は理解が難しいですね。
四太郎:生まれたから、生きていて話をしているのに、生まれたことも死んだこともないって、おかしい!
八 雲:はい。そう思うのは間違いではありません。
四太郎:じゃ、あいつが間違っているの?
八 雲:いえ、彼は彼の立場で正しいことを言ってます。

インドの聖者マハラジは、スピリチュアルの聖者ではなく、悟り=ノンデュアリティの聖者です。
スピリチュアルとノンデュアリティは、同じジャンルの話のように思われることが多いのですが、本質はまったく異なります。

例えとしては、かなり強引ですが、ラーメンとカレーぐらいの違いです(笑)。どちらも食べ物で主食というジャンルですが、成り立ちは全く異なります。スピリチュアルとノンデュアリティもこれと同じように、一見すると同じカテゴリーのようで、実は全く異なるカテゴリーの話です。

ノンデュアリティ=悟り、においては人の根源的姿を語ります。その根源的姿とは、全ては一つであり、人とはその全ては一つに映し出された映像に過ぎないと言うものです。
全ては一つであり、それは永遠であるから、その視点から見れば、人は生まれたことも死んだこともないという回答になります。

スピリチュアル・カウンセラーによるまとめ

スピリチュアルな回答を求めているのか、それともノンデュアリティ(悟り)の回答を求めているのか、あるいは物資的なこの世の見方での回答を求めているのかによって、正しい回答はそれぞれ異なります。

日常的な感覚と違い、霊的な真実は一つではなく、複数あります。
真実が複数同時に存在するというのは、日常的な感覚とは相いれないかもしれませんが、真実が複数あるというのは、霊的な世界を理解する上で、とても重要なことです。

四太郎:結局のところ、生まれ変わりはあるの?ないの?
八 雲:あるも正しいし、ないも正しいのです。
四太郎:だからぁ、どっちなの?
八 雲:どっちか一方のみが真実ということではなく、どちらも真実なんです。
例えば、円錐形のものがあったとして、それを真下から見るとどういう形に見える?

四太郎:そりゃ丸いに決まってる。
八 雲:それを真横から見るとどういう形に見える?
四太郎:うーんと、三角かな。
八 雲:そのどちらが、真実ですか?
四太郎:そんなこと言ったって、真下から見たら丸、真横から見たら三角、そう見えるじゃん。
八 雲:どちらも、正しいですよね。
四太郎:うん、まぁ、そうだな。
八 雲:生まれ変わりが有るのか無いのかもこれと同じで、どちらも正しいのです。

一方から見れば、生まれ変わりは有り、もう一方から見れば、生まれ変わりは無いということです。

私たちは、肉体を持って生まれ、子供として物質世界で生きることを学んでいきます。この時は、物質世界のみを信じているので、生まれ変わりが存在するのかどうかは、判らないということになります。判らないから、無いと言い切ってしまう人も居たりします。

やがて、スピリチュアルな理解が始まり、私たちは全ては一つという源泉(ワンネス)から、多様な体験をする為に肉体を持って三次元世界に生れてきたことを理解します。この三次元世界では、肉体を持つことで多様な体験を何度も行うことが出来る仕組みとして、生まれ変わりが存在します。ですから、スピリチュアルな立場では、生まれ変わりは存在するということになります。

そして、私たちの根源である、ノンデュアリティでは、全ては一つであり、その本質は不変であるから、生まれ変わりは存在しないというのが答えになります。
マハラジが言った、「私は、生まれたことも死んだこともない。そんなものは存在しない。」というのは、全ては一つという立場で観る時は、このように観えるということを言っているのです。

つまり、物質世界とスピリチュアルとノンデュアリティのそれぞれの世界で、異なる答えが存在し、しかもそれらすべてが正しいということです。

ですから、「生まれ変わりはない」、「生まれ変わりはある」は、どちらも正しいのです。

あなたが、どの立場(物質、スピリチュアル、ノンデュアリティ)に立っているのかによって観える世界は異なるということです。