氏神・産土神を大切しなければならない、ということはありません。というとどうでも良いのかという反論がありそうですが、自分の氏神・産土神をしらないままで、普通に良い人生を送っている人も最近では沢山います。自分自身の周りを見てみればわかると思いますが、自分の氏神・産土神を知らない人の方が多いです。
では氏神・産土神を知らなくても良いのかというと、あえていうならどっちでもいいです。神道系のバックグラウンドを持っている私がこういうことを言うのも変かもしれませんが、氏神・産土神とのお付き合いということでは、お付き合いしなくても良い人生を送ることはできますが、お付き合いするとより良くなるというのが実態で、お付き合いしないと駄目ということはありません。
(1)でも書いてますが、仏教系・キリスト系の背景を持っている人にとっては産土という考え方はありませんし、さらに今回の人生においてスピリチュアルなことを外すことで、人生の学びをするという人生を選択している人もいます。そういった人たちにとっては、日本の神様とのお付き合いは(あえて言うなら)不要なことです。
神道系のカウンセラーの中には、全ての人は氏神・産土神を大切しなければならない、という方が結構いるのですが、「じゃぁ、キリスト系のバックグラウンドを持っているひとでもそうなのか?」という問いをする人はなかなか居ないみたいです。
なので、氏神・産土神とのお付き合いは、しないと駄目ということではなく、すると良くなることが多いということです。
一方で、今回の人生の縁が深いのが神道という形式ではなく、もっと古い自然信仰などの場合は、神社ではなく気持ちのいい場所(高原とか海辺とか)に行く方がいい結果になると思います。
また、氏神・産土神については、現代人では昔に比べて希薄に成ってきていると、感じています。(1)にも書いていますが、移動可能距離が飛躍的に伸びてきた結果、生まれた場所と育ってきた場所、今住んでいる場所が異なっている人は、交通機関が発達していなかった昔に比べてかなり多くなっています。
かつてのように、生まれた土地で育ち死んでゆくということが普通であるばあいは氏素性(=氏神)というものが否応無く人生に関わってくることになりますが、東京のように地方出身者の集まりで成り立っているような場合は、故郷としての田舎は意識しますが、氏素性というものは希薄になってきます。
つまり、移動可能距離が伸びて、移動するのが昔に比べると頻繁になってくると、氏神・産土神というのが希薄化してくるため、はっきりしている人とそうでない人の二極化が進んでいくのではないかと考えています。また、はっきりしている場合でも、私のように生まれ育った場所とは違う場所での縁が深いというケースも多くなっていると思います。
ところが、氏神・産土神鑑定をやっている人をみると、昔ながらの氏神・産土神のスタイルのまま、氏神・産土神鑑定をやっている人も多いようです。海外で生まれ育つ日本人が多くなり、海外から日本に移住する外国人も多くなってきた現代では、氏神・産土神すらも時代の変化に対応することが必要だと思います。
ということで、色々と書いてきましたが、氏神・産土神はお付き合いをしていると良い事が多くなるというのが私なりのスタンスです。
私自身の事で言えば、諏訪大社が氏神であり産土神でもあるわけですが、選択に迷ったりしたときは諏訪大社にお話に日帰りでよく行き、神様とお話してきます。すると、自分が想像していた以上の答えがいつも返ってきます。
チャネリングとかの能力が自分にはないという人の場合でも、選択に迷ったり、考え方が煮詰まってしまった場合、気持ちの良い社にいって暫く時間を過ごすことで、選択がきまったり、考え方が整理できたりできるということになり、自分にとって、そういう特別な場所があるというのはとても良い事です。
チャネリングというものは人間の五感全てを使っておきるものであり、声で聞こえるということが実はまれなことで、インスピレーション・気持ちの落ち着き・などその人にぴったりの感覚のどれかでやってきます。どれを使うのかは、人それぞれです。
氏神・産土神というのは、自分自身をサポートしてくれる神様です。
なので、氏神・産土神とのお付き合いをするというのは、良いサポーターを得られるということになります。
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