エンライトメントの意識

エンライトメントの意識が進んでいくと、ワンネスの感覚が段々と強くなってきます。
つまり、他人と自分、自分と神との間の境界が少しずつなくなって行き、すべては一つの感覚が強まってきます。
神は自分の内側に居るという感覚になるので、自分の外に神棚・神札を祀るということに違和感が出てきます。

そして、貝掛温泉に行ったときに、近くなので、八海山神社に立ち寄ったときのことです。
八海山神社は、良い神社なのですが、どうも違和感がある。なぜ、自分の外側に神が存在するのかという・・・
その感覚があるので、しばらくは社寺にも行かないで、夏の疲れを取りに温泉に行ってるという状態でした。

そして、これまで祀っていた神棚は、この神棚を必要としている人に譲って(このための移動も遠距離でしたが・・・)、神札は東京大神宮にお返ししてきました。

秋分の日の遠隔エンライトメントで頂いた感想を読んで編集し、ブログにアップする作業のために甲斐大泉(八ヶ岳の麓)のホテルに泊まった後。
東京への帰りの日は、天気が良かったので11時過ぎに、美ヶ原高原まで上がり、
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松本市内に戻ってそのまま高速道路のIC経由で東京に帰るつもりが、松本市街の神社に呼ばれてしまいました。

伊和神社(総社) → 四柱神社 → 深志神社 → 沙田神社 → 筑摩神社(八幡社)

松本市街の主要な神社は(以前巡ったの合わせると)おおむね行ったという感じです。
四柱以外は初めて行く神社だし、全国地図しか持ってないので、市街といっても国道と県道くらいしか表記されてないし、ましてや神社の位置も地図にはすごくアバウトにしか記載されてないのですが、呼ばれているときは、ガイドさんの道案内の声を聴いていくとちゃんと着いてしまいます。
これで終わりかと思いきや、さらに諏訪大社本宮まで、行ってその日はやっと終わり。

東京に帰るつもりが、諏訪に一泊になってしまいました。

さらに、翌日は、前宮・本宮・春宮・秋宮と四社呼ばれて、やっと東京への帰路に。

この時の、呼ばれて行った時の感覚は、自分という身体の外側にある神社に行って、その神様が自分の内側(ワンネス)の何処に存在するのかを感じるための巡りでした。

いずれは、また神社を巡るようになるのだと思いますが、今しばらくは、神社には行かない時期かと思います。

コメント

  1. ポン太 より:

    続きはこちらでしたね。
    私も(って同列に並べられる程では全然ないのですが)その違和感(と言ってもいいのか)がずっと続いていました。
    デザイン的に、お札って好きなんですけどね。(御朱印とかも)

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