7月8日(土) - 9日(日)で、長篠古戦場で供養に行ってきました。
長篠の戦いは、長篠城(ながしのじょう)の攻防から始まり、設楽原(したらがはら)で両軍が決戦したので、戦い全般を通じて「長篠の戦い」とか、決戦地の名称で「設楽原の戦い」とか、複数の呼び方があります。
私の場合は、長篠城の攻防から設楽原の戦いまで居たので、「長篠」という名称を使います。
今回は、私が行う供養ではありません。
長篠の戦いに参戦した別の武将が行う供養に、私は霊視で確認するために同行しました。
しかし諸事情のため、二日目は私が代理で供養することになりました。
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自宅を出て御殿場JCTで東名高速道路から新東名高速道路に入り新城ICを目指します。
供養だとろくに食事もできないだろうから、浜松PAで浜名湖産うなぎのひつまぶしを食べました。
値段高い(\3500)だけあって良いお味で、自宅近くのよく行く鰻屋さんと負けず劣らず。自宅の近くにあれば通いたいぐらいです。
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その後新城ICで降りて、まずは馬防柵が再現されている所に行きます。
馬防柵は、織田/家康の連合軍が作成したもので、武田軍の騎馬隊への守りと、鉄砲隊の陣地を兼ねており、向かって右側が織田/家康の連合軍、左側奥が武田軍の陣地になります。
再現されているのは一列で長さ100mほどです。実際には、長さ2kmにもおよび、さらに左側にもう二列の馬防柵があったと言われています。
馬防柵が再現されている場所は、長篠の戦いが実際にあった場所ですが、激戦地は数百メートル北の馬防柵が再現されていない場所(大宮前激戦地、名高田前激戦地)になります。
その後、新城市設楽原歴史資料館(リンク)にも立ち寄ります。
歴史資料館からすぐ近くに、信玄塚があります。
長篠の戦いにおいては、武田信玄はすでに死去しているのですが、武田時代の終焉を表すために信玄塚という名前を付けたそうです。
信玄塚は大塚と小塚があり、大塚から50mほど南西に小塚があります。
武田方が大塚、織田・徳川方が小塚に戦没者が葬られています。
今回の供養は、武田方になるので、大塚で供養することにします。
並んでいるペットボトルなどは、以前に誰かが供養のために置いたものです。
塚の前で手を合わせて、供養方法を確認します。
すると、多くの武士や農民上がりの武士達が集まってきます。その数、数十人。
彼らの供養をするのに、一個づつでは間に合わないので、近くのスーパーに供養するためのものを買い出しに行きます。
供養の為に、花・お米・日本酒を買います。また、入れる器としての紙コップやプラカップも買いました。お酒を飲めない人の為に、ミネラルウォーターも買います。線香とライターは自宅から持参していたので、そのまま使います。
それらを携えて、大塚に戻ります。
一度に全員分は難しいので、まず10人分の用意をして、入れ替わりでの供養にします。
花を置き、紙コップに日本酒、プラカップにお米を入れていきます。
右端のミネラルウォーターはお酒が飲めない人ためのお水です。
手前の線香立てに、線香に火をつけて立てます。
すると、供養されたい人が集まってくるので、手を合わせて供養します。
最初の人たちが終わると、入れ替わり立ち代わりで、さらにやってきます。
そのため、日本酒を入れ替えて、さらに供養していきます。
ここに来ることが出来る人の供養がすべて終わったのは、長篠に着いてから4時間後のことでした。
しかし、ここに来ることができない人が数人いるので、翌日に供養します。
二日目に続きます。
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