長篠古戦場の供養が、前日では全部終わらなかったため、
翌日も供養することにしました。
ただし、前日で参加した武将は、予定があり前日で帰還したため、この日は私一人での供養になります。
朝ホテルを出発しますが、その前にやることがあります。
代理で供養を行うので、代理であることの証明のために、代理の委任状を書面に手書きで書いて、スマートフォンで撮影して送ってもらいます。
書面を見せることで、代理としての供養であることを相手にも理解してもらえるようになります。準備を終えたら、出発です。
呼ばれているので、まずは信玄塚に向かいます。
前日で供養は終わっているはずなのに、呼ばれたのは・・・
この日(7月9日)は、かつて長篠の戦いが行われた日にあたるので、信玄塚とその近くに建っている歴史資料館に呼ばれました。
信玄塚に挨拶した後、信玄塚に来ることができない人の為に移動します。
戦いの時に、持ち場を死守するように言いつけられた人は、上司からの帰還命令がなければ持ち場に留まるしかありません。長篠の戦いでは、武田軍は敗退しているため、上司からの命令が伝達できず、戦死してもそのまま持ち場に留まっている人がいます。
そのため、古戦場周辺を車で走りながら、留まっている人達に上司の代理として声を掛けて行きますが、これが結構大変で、古戦場とその周辺の細い道10Km程度を結局三周30kmほど走ることになりました。
長篠の戦いの後、長い年月が経っているので、風景もすっかり変わっています。特に新東名の建設で道路整備がされた関係で、その当時から残っている良い場所が無くなっているので、供養する場所を探します。
戦った人達も来れる場所というと、その当時からある神社かお寺になります。
地図を見ていると、岩倉神社というのを見つけます。背後に磐座のある神社なので、創建は相当古いものだと思われます。この神社なら戦い当時にもあり、戦いに出た人達も集まれるので、こちらにします。
供養のため、日本酒、おにぎりと線香を準備します。
長篠の戦いの頃は、主な食べ物と言えば、お米と雑穀と野菜、日本酒ぐらいしかなかった時代なので、昔の人も飲み食いできる、白米のおにぎりと大吟醸の日本酒(これらは、当時としてはかなり贅沢)を供養として準備します。
供養のための日本酒を買いに行くと、お店にある一番いい日本酒を指定されます。長年戦ってきた人たちへの供養なので、良い酒を飲みたくなる気持ちも良く分かります。供養するときは、相手の気持ちに寄り添うことが大切なので、お店で一番良い酒をいつも買っています。
準備をしていると、他の武田軍の人もやって来るので、日本酒を2カップ追加します。
その準備をしていると、さらに来ます。
結局、7人になりました。おにぎりは三個しかないので、みんなで分けて食べるように伝えました。
上司の代理として、戦場からの撤退を伝達し、ねぎらいのおにぎりとお酒を提供して供養は終了しました。
ということで、供養は終了したと思ったので、自宅に直帰しようと思っていたのですが・・・
天の声(武田信玄)が、「躑躅ヶ崎館(武田城)まで」と言ってきます。
ええっ!これから武田城まで行くのか・・・
※武田信玄公の居城の正式名称は躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)ですが、呼びにくいので武田城(たけだじょう)と通称で呼んでます。
部下思いの信玄公らしく、武田城まで連れ帰って来るようにということなので、ここまででかなり疲れてますが、岩倉神社から武田城に向かうことにします。
7人衆は肉体を持っていないので、重なるようにしてクルマの後部座席に座ります。
馬防柵が再現されている場所に立ち寄り、風景をしっかりと心に焼き付けて、
新城ICから、新東名高速道路に入り東に進みます。
新清水JCTから中部横断自動車道に入り北に進み、甲府盆地に入り釜無川を見ると、帰って来たという安心感からか、後ろの7人が急にがやがやと騒がしくなります。
双葉JCTで中央自動車道を東に進みます。甲府昭和ICで、甲府市内に入ります。甲府市内を走って、武田城(躑躅ヶ崎館)にようやく到着。新城から途中の休憩も含めて3時間30分の道程。
信玄公への報告が済むと、7人衆はあっという間に消えて行きました。
ついさっきまで8人で移動してきたのに、あっという間にいなくなってちょっと寂しいですね。
今回の供養の確認の為に、武田神社で武田二十四将正伝を買いました。
この後、自宅に向かいます。
自宅に戻ったら21時を回ってました。走行距離743Km。
無事に供養が出来て、安堵しました。
コメント
八雲様
ご供養、長距離運転共に、お疲れ様でございました。
長篠は自分の住んでいる市の隣の市にあるので、毎回、興味深く拝読しております。
ご一緒に武田城まで行かれた7人の方は武田二十四将正伝に描かれている方々なのかが気になります。
> 名古屋のよしこさん
長篠は名古屋の隣?それはともかく、
二日目に供養した7人衆は、二十四将の部下になるので、正伝には出てこない人達です。
二十四将正伝に描かれるような人達は、有名だということもあり何らかの形で供養されているのですが、その部下となると様々な人がいて、供養されてない人も多くいます。
今回は、初日に参加した武将の部下達の供養です。
私自身が供養で初めて長篠に行った時もそうでしたが、長篠の戦いでは武田軍が敗退して多くの武将が死んでいることもあり、武将から命令を受けた部下が撤退命令を受けてないので、死んでもそのまま古戦場に残っているということが結構あります。
それらの人達の供養は、過去生で武将であった人が古戦場に行って撤退命令を下して供養することが必要になります。
八雲様
ご回答ありがとうございました。
私からの訂正です。長篠は名古屋の隣ではありません。私の両親の家がかつて豊橋市にあって、友人と新城市の長篠には見に行ったことがあったので、ちょっと勘違いしました。失礼しました。
ちなみに、私には霊感がありませんので、当地を訪れても何も感じませんでした。
やはりお役目のある八雲さんのような方が訪れていただけるとよいのですね。
とにかく、どのような戦、戦争もない世界になることを祈ります。
> 名古屋のよしこさん
豊橋市だったのですね(^^♪
過去の情景が見える時、良い風景とは限らず、様々な風景が見えてしまうこともあります。
先日も、夏の暑い中・夏休みで渋滞するのにもかかわらず、供養の為に行って来ましたが、
シャツの白い線は、汗の塩。
左胸のトンボは、最近話題の虫除けグッズのあかねちゃん。
現在テスト中です。人体実験とも言う(笑)
そういう経験を何度もすると、霊感が無く何も見えない方が、穏やかな人生を歩めると思うこともしばしばです。