水子供養については、色々と意見があると思います。
ここでは、私が感じていることを書いておきます。
水子供養がなされている場所や実際の供養の現場に立ち会ったことがありますが、そこで見たものは「母親の無念の気持ち」です。水子のエネルギーは全然ありませんでした。
水子供養の地蔵様をはじめとして、日本全国にそういう場所がありますが、私が行った限りでは、そこに水子の魂はありませんでした。
一方で、水子供養をすると一定の効果があることも確かです。
これはいったいどうしたことなんでしょうか?
私が思うに、母親の無念の気持ちが、水子という形のエネルギー体として存在しているのだと思います。
なので、水子供養をすると一定の結果も出るが、その場に水子の魂も存在しないということになっているのだと思います。
ということで、本来的には、水子供養というものは必要がないと思っています。ただ、母親の気持ちとして生まれてこなかった子供を供養してあげたいということがあるのも確かです。なので、母親の気持ちを静めるための供養ということであれば、それも意味があることだと思います。
一部の寺社で、水子供養をしないと祟るということを言っているところがあるようですが、これまで見た限りではそんなことはありません。水子の障りというのは、あくまでも母親の生まれてこなかった子にたいする気持ちが出ているものです。なので、母親がきちんと心の整理をすることが一番大切で、心の整理をするために供養という形を取るのであれば、それも良い方法だと思います。
PS.
補足的ですが、こちらのサイトも参考になると思います。
誕生前の「死」? 現代日本の水子供養
http://www.ne.jp/asahi/time/saman/index.htm#mokuji
水子の祟り
http://www.nazotoki.com/mizuko.html
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