ノンデュアリティからスピリチュアルを再構築する:過去生(その1)

ノンデュアリティから見たスピリチュアルについて、まず最初に取り上げるのは過去生です。

ノンデュアリティにおいては、『私』は生まれたことも無ければ、死んだことも無い。ということが基本です。

私たちは、通常自分の肉体を「私」という個人であると思っていますが、それは単なる幻想・見かけに過ぎません。

本質において、肉体とそれが行う精神活動は、「私」ではない。つまり「私」という個人は存在しない、ということです。

「私」という個人は、見かけとして存在しているに過ぎず、肉体を「私」という個人であるという思い込みが、不幸や怖れ・恐怖を生み出しています。

では、この思考をしているのは、誰なのか?それは、神・大いなる存在・源泉などと呼ばれている、ただ一つの存在である『私』が肉体を通じて表現を行っているのであり、私もあなたも、他人も、全ては元を辿れば、ただ一つの存在である『私』であるということであり、『私』には、時間も無く過去も無く未来も無く、存在するのは、今という瞬間だけです。

なので、そこには過去生というものが存在する余地は全くありません。

しかし、一方で人が生きて行く人生において、過去生というものが存在するという体験をすることがあります。私自身、武田の武将であったという過去生があり、長篠古戦場に赴いて、まだ古戦場に残っている霊の供養を行ったことがあります。

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最初の年は、自分の部下の残っている霊の供養を行ったのですが、その後古戦場のすぐ近くを新東名が建設中なので、通過する車両の安全の為に、5年がかりで敵方の霊も供養することになりました。

古戦場に残っている戦士の霊というのは、本人は既に死んでいるに関わらず、それに気が付いていないため、まだ戦おうとしてその土地に残っているわけで、彼らは真面目な戦士なのです。既に戦いは終わっているので、状況を見れば判るにも関わらず、上司からの撤退命令がないので、そのまま戦おうとしているわけで、本当に真面目な人達です。
まるでグアム島に戦後28年間も潜伏していた残留日本兵の横井庄一さんや小野田寛郎さんのような感じです。

なので、土地に残っている霊が新東名を通過する車両を見ても、敵方を表す旗もなく姿形を見ても敵方とは思えないので、何か悪さをするわけではないのですが、ドライバーがたまたま霊を見てしまった場合に、驚いて車両操作を誤った結果として事故になる可能性はあります。

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そのため、自分の部下だけではなく、敵方の霊も供養することになるのですが、自分の部下の場合、過去生における上司である私が供養をすると、あっさりするすると昇って成仏して行きます。自分の部下の場合は簡単なのですが、敵方の霊となると色々と説得しないと昇って行かないので、結構手間が掛かります。

(その2)に続く(リンク

コメント

  1. sumie より:

    少し前に新東名に長篠設楽SAが出来るとの報道を知り、八雲先生が数年かけて行っていたことの意味合いを察しました。このように一般には知られていないけど大切な事を行ってくださる方々のおかげがたくさんあるということ、しっかりと心に留めて置きます。本当にご苦労様でした。そしてありがとうございます。

  2. yakumo より:

    sumieさん

    コメントありがとうございます。
    スピリチュアルな意味での供養は今生における役割なので、本来は表立って言うことではないのですが、今回はスピリチュアルを再構築する上で避けて通れない出来事であったので、書いています。
    私に限らず、他にも人知れず役割を果たしている人は沢山いるということを心に留めて頂ければ幸いです。

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