これまで、あちらこちらの神社に行ってますが、その多くは呼ばれて行ったものです。
・・・と言うと、呼ばれた経験のない人に聞かれるのが「呼ばれるって、どういうことなんですか?」という質問ですが、これは呼ばれたことのある人には、「呼ばれる」という一言で分かるのですが、そうでない人の場合(こちらの方が、一般社会的には圧倒的に多いですが)には、ちょっと説明が難しいです。
行く人にしてみれば、「呼ばれているんだから当然」という感覚なのですが、そうでない人にしてみれば「呼ばれる」という感覚そのものが理解できません。
私が説明するときは、こんな説明をしています。
お腹が空くと、ご飯食べますよね。
そのとき、ご飯を食べなければならない理由を考えますか?
お腹が空く→ご飯を食べる この二つのつながりに疑問を持つ人は殆どいないと思います(哲学者は別)。
神社に呼ばれて行くというのも、そんな感じです。
呼ばれる→行く この二つの間に疑問はありません。
呼ばれた経験のない人(ここで言うなら、お腹が空いた経験のない人)にとって、その次の行動は理解が難しいと思いますが、経験のあるひと(お腹が空いた経験がある人)には、その次の行動は自然な行動になります。
神社に呼ばれるという感覚は、呼ばれたことのない人にとって、理解しがたいものです(空腹になった経験がないですから)。
なので、私の場合、経験がない人に理解してもらうということについては、正直なところ期待していません。
理解するかどうかではなく、というか、理解できるかどうかはともかく、容認してもらうこと、そちらの方が実践的だと思っています。
自転車に乗ったことのない人に、自転車の乗り方を口頭で説明しようとするようなもので、経験するしか理解することは出来ないのかもしれません。
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