ワンネスと言う言葉を表面的に理解するのは簡単なことですが、深く理解しようとするとき、実は結構難解な概念であるということに気が付きます。
ワンネスとは、「源泉」という普遍的な源が全てを生み出すということであるわけですから、私たちが普段、物質を現実であると感じていることは、実は勘違いであることに気が付きます。
物質を現実であると感じている状態を「物質的現実」と呼ぶことにします。普段私たちは、無意識的に「物質的現実」という物の見方考え方、すなわち観念で日々を過ごしています。
全てが一つなのであれば、個々の物質は、究極的には一つであり、個々の物質は実は存在しないことになります。つまり、私たちが普段目にしている物質は全て幻想であるということになります。これを、「物質的幻想」とします。
「物質的幻想」という観念、すなわち物質は全て幻想であるということになると、無意識的な「物質的現実」とは正反対の観念になるので、これを受け入れることは、自分の中で混乱を生じます。多くの場合、この混乱を避けるために、「物質的現実」に舞い戻ってきます。
そして、物質は全て幻想であるということを、知識的には知っていても、深い部分では受け入れない状態が続きます。人によっては、この状態で一生を終えることもあります。
そして、さらに理解が進むと、物質とは幻想であるということを理解し、「物質的幻想」という観念を受け入れるようになります。
ところが、ここには落とし穴があり、「全てが幻想であれば、自分が何をしようとも、全て幻想であるから、何も意味が無い」という考え方に陥ることがあります。
この考え方は、一見すると正しいように見えて、実は生半可な理解しかしていないということです。
そもそも、「源」が根本的な姿であるとするなら、「幻想」こそが本来の姿です。「物質」というのは、分離された世界を体験するために生み出されたものです。
一見すると、「物質=現実」のように見えるこの世界は、そういう観念を持つことで、分離された世界を体験するために構築されているのです。
そして、さらに理解ではなく、気づきが進むと、幻想そのものが現実であるという確信に変わって行きます。
つまり、この世界は幻想というものを現実として受け止めて様々な体験をする世界であるということです。これを「幻想的現実」とします。
この「幻想的現実」は、大きく分けて、「物質」と「精神」に分かれます。
「物質」は、人と人の間において、共通の体験をする為に存在します。なので、人によって異なる動きや作用をすることがありません。
「精神」は、人によって様々な異なる体験をするためにあり、そのために人それぞれで、異なる認識や思考を持つようになります。
「物質的現実」という観念を持っている人と、「幻想的現実」という観念を持っている人を、外から見た時、どちらも同じように考え・行動しているかのように見えます。しかし内側における、この世界の認識の仕方はまったく逆になっています。
「物質的現実」を持っている人の考え方や行動は、制限・制約がベースになり、そこには、不安や怖れが常に心のどこかにあります。
「幻想的現実」を持っている人の考え方や行動は、制限がなく・自由がベースになり、不安や怖れを持つことが無くなります。
スピリチュアルな成長とは、「物質的現実」からスタートし、「物質的幻想」を超えて、「幻想的現実」という自由で怖れや不安がない世界に行くということなのです。
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