光で制限された世界

アインシュタインの相対性理論を読んでいて感じたことですが、
我々が住んでいる世界では、光の速度が一定であることが知られています。光に向かって走っても、光を背に受けて走ったとしても、観測者からは光の速度は一定になっています。
つまり、物理的な加速では光の速度を越えられないということです。
これをスピリチュアルな視点から見れば、我々が生活している空間である4次元空間(3次元+時間)は、光で制限された世界であると言うことができます。
神仏の存在というのは、物理的ではなくエネルギー的ですし、神仏を見たといっても、目で見ている=光を感じている、ということではないので、根源的には神仏=光、ということではありません。ただ、我々が感じるものとしては、光がメインになっているので、そのように感じるというだけです。
旧約聖書では、冒頭で、神が「光あれ」と言ったことで、光が現れているわけで、光以前の存在が本来の存在であることを表しています。
ビッグバン宇宙論においても、ビッグバンの最初には光がなく、すこし時間が経ってから、光が現れてきます。
最近の宇宙論では、ダークマター・ダークエネルギーという光に反応しない物質やエネルギーが話題になっています。
つまり、神仏の根源的な存在としては、「光を生み出す闇」のエネルギーであるということになります。
我々は、光を感じる次元空間で生まれ育っているので、光を主たるものとして扱う概念がありますが、もっと本質的な世界では、光ではなく(光を生み出す)闇の世界が根本であると言うことができます。

コメント

  1. mama より:

    ダークマスターと聞いてSTAR WARSのダースベーダーを思い出すのは私だけでしょうか(笑)
    相対性理論は娘と時間については話しをする事がありましたが光と言うのは始めてしりましたf^_^;
    勉強になります。

  2. たなか より:

    2年くらい前のことでしょうか。旧約聖書創世記冒頭を黙想しながら読んだとき、
    >旧約聖書では、冒頭で、神が「光あれ」と言ったことで、光が現れているわけで、光以前の存在が本来の存在であることを表しています。
    そのとおりのことに気づき、愕然とした思いがあります。
    創世記一章3節になって初めて、「光あれ」の言葉があり、1,2節では、まず天地を創造されたこと、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていたことが書かれてあり、思わず「光より水のほうが先だったのか」と驚きました(八雲さんの記事の趣旨とは少し違いますが)。
    >ビッグバン宇宙論においても、ビッグバンの最初には光がなく、すこし時間が経ってから、光が現れてきます。
    この少しの闇の時間が興味深いですよね。神の世界でしょうか。女子高生時代(笑)Newtonを読んでいましたが初耳でした。
    神が闇であると体感した私にとっては(神は光であるという表現にはなじめない)、八雲さんの示す世界観は、私にはしっくりときて安心できます。

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