先日どこかから呼ばれているので車を走らせると、東松山ICで降りるけど、何処に行くの?
東松山市内を走っていると、ガーデンホテル紫雲閣(リンク)の屋上看板が遠くに見えてきた。(写真は公式ページから引用)
ガーデンホテル紫雲閣は、箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ)の敷地だったところに建てられたホテルなので、箭弓稲荷神社が目的地だと分かり、車を進め自動車機器で有名なボッシュの工場前を通りすぎて、箭弓稲荷神社に到着。
本殿前には、夏の風物詩として風鈴が設置されて、涼やかな音色が響いてます。
風鈴の音色は元々は「お祓い」で使われていたそうです。
箭弓稲荷神社は、何度目かの参拝になります。
他の稲荷神社とは少し違うと思っていたのですが、その違いが今回良く分かりました。
エネルギー
参拝した時点で、エネルギーが伏見稲荷とは明らかに異なる。
このエネルギーは、豊川稲荷特有のもの。
豊川稲荷には、昨年10月に参拝したので、エネルギーの違いがよくわかります。写真は、新本殿。
箭弓稲荷神社参拝直後に神社で由緒書き(リンク)を確認しましたが、伏見稲荷については全く触れられていません。
伏見稲荷を勧請した稲荷神社の場合は、由緒などどこかに伏見稲荷について語られるのですが、箭弓稲荷神社では全く触れられていません。
建物
自宅に帰って調べてみると・・・
こちらの写真をまず見てください。
豊川稲荷の奥の院は旧本殿になります。
箭弓稲荷の拝殿と比較するのであればこちらになります。
そして、こちらの箭弓稲荷神社と比べてみると、
社殿の大きさなどは違いますが、
屋根の瓦や、正面の作りが非常によく似ています。
特に赤線で囲った屋根の瓦の部分は屋根の強度には関係ないので、意匠としてかなり特徴的です。
いわゆる権現造りの社殿ですが権現造りの場合、正面の意匠については一定の形があるのですが、屋根については特に決まった所がないので、これだけ似ているというのは、単に似ているというのを超えています。
建物に豊川稲荷の痕跡を見ることができます。
稲荷もかつては神仏習合だったのですが、明治新政府の神仏分離令で神社と寺が分離されてしまいました。そのため、豊川稲荷を元にした稲荷神社は起源を語ることが出来なくなり、由緒に出てこないという結果になっていると思います。
中には、由緒を強引に書き換えてしまっている神社も存在します。
この対応は、明治初期になされたため、宮司さんに聞いても知らないとか、表向きには言わない様にしてたりするので、建物の意匠やエネルギーで判断することが大切になります。
コメント
仏教系の神様と神道系の神様では、神さまへの祈願のお取次方法やお参りの仕方が違う(豊川稲荷だとお経や真言を唱えるし、伏見稲荷だと祓い清めて祝詞を奏上し柏手を打つ)と思うのですが、このように変遷した場合は神様は人間の都合を御理解なさっていらっしゃるのでしょうか?
元が神仏習合だったから問題ないのでしょうか?
神様は居心地が悪いとかないのでしょうか?(そんな低レベルのことは気になさらないのでしょうか)
> 喜右衛門さん
仏教系と神道系では、祈願のお取次方法やお参りの仕方が違うのは、最終的には人間側の都合によるものです。
神仏習合では、僧侶が神社で読経したり、お寺で宮司が祝詞を上げたりしています。
神的/仏的なレベルになると、方法やお参りの仕方というのは希薄になってきます。
実際私自身の社寺での参拝では、一応は社寺のルールには合わせますが、神仏側では参拝者の霊的レベルが高くなるほど方法にはこだわらなくなります。
参拝者の心の在り方が問われます。
ただし、仏教/神道の人材育成となると、自由なやり方を認めると収拾がつかなくなるので、一定の方法論に沿ったものになります。
世間一般には、一定の方法論の方が知られていますが、霊的に深く理解すると自由であることが分かります。
禅宗の一休和尚などはその良い例で風狂僧とも呼ばれていますが、自由であることは、なかなか一般の人には理解しがたいところがあります。
そうですか。心の在り方が神様に通じるのですね。
たしかに、人間の作った方法を超えていらっしゃる御存在ですもんね。