瞑想には、静的瞑想、動的瞑想、騒的瞑想がある

スピリチュアル

瞑想を大別すると静的瞑想と動的瞑想と騒的瞑想に区分されます。

静的瞑想

座禅のように畳の上でただ静かに坐って行うものが良く知られています。
禅宗のお寺では、座禅体験を行っている所もあるので、そういったところで体験してみると良いですね。
また、椅子に座ったり、横になったり、立ったままでも静的瞑想を行うことができます。

ヨガは、静的瞑想でもあり動的瞑想でもあり、両方の側面を持っています。

動的瞑想

動的な瞑想というのは、単純な行為・操作をひたすら繰り返すというやり方が基本です。動作を繰り返し、その動作に集中することで無心な状態を作り出すというものです。
動的な瞑想では、その人にとって体力を消耗しないやり方で行うことが鍵になります。そうしないと、瞑想状態に入る前に体力的に限界がきてしまいます。

ハイキングや登山も無心で登れば一種の動的瞑想になります。
キリスト教会の中には、歩く瞑想を実践するために、床に道を描いているところもあります。
踊りが好きな人は、踊りをひたすら無心に続けることで独特の感覚を得ることがあったりするのですが、これも動的瞑想です。
お経をひたすら唱え続けるとか、太鼓を無心で叩き続けるというのも、動的瞑想になります。ポイントは動作を続けて無心になること。

静的瞑想ようにただ静かにじっとしているのが苦手な人も多いので、そのような人は動的瞑想を試してみると良いです。
この場合、ポイントは、動作を繰り返すことです。体が動作を覚えてしまえば、後は考えなくても動作をすることができるので、その動作に集中することで無心な状態を作り出すというものです。

私の場合は、車で空いた高速道路をひたすら長距離走るというのが瞑想になりますが、これは静的瞑想と動的瞑想の中間になります。

騒的瞑想

騒的瞑想は私の造語で、密教系などにおいて、音曲・読経を大きな音で行うことによって思考を止観する方法をいいます。大きな音をつかうことで、雑念が発生しないようにするので、静的な方法より一般の人には入り易い方法なので、護摩焚きなどにおいて、用いられることがあります。

成田山東京別院の深川不動堂(東京都江東区)の護摩においては、法螺貝・鐘・太鼓・読経による騒的瞑想が行われます。初めて行く人にはびっくりするくらいの音量ですが、慣れてくると、とてもいい感じです。騒的瞑想の音曲においては、奏者の意識・力量が問われるところがあり、奏者に力がないと瞑想にならなくなってしまいますが、深川不動堂の護摩の奏者は気合いの入った良い感じのものなので、一度護摩に参列してみると良いです。

音楽の世界では、ロックやヘビメタを大音量で聞く人が居ますが、これも騒的瞑想の一種だと思います。ただし人の迷惑にならないように気を付けてください。

どの瞑想が自分に合ってるか?

静的瞑想、動的瞑想、騒的瞑想はそれぞれ独立したものではなく、お互いにオーバーラップする関係にあるので、

私のように静的と動的の中間を行う人もいます。

静的瞑想や動的瞑想のやり方は様々なものがあるので、どれがいいのかを事前に考えるのではなく、実践して自分に合っているかどうかを決めてください。

私の場合、静かに座って行う10日間の瞑想会にも参加したことがありますが、終わってみて感じたのは爽快感ではなく、疲労感でした。
高速道路は昔であれば、ぶっ通しで10時間以上走ることも出来たので、自分には高速道路を走るという瞑想が一番合っていると思いました。

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