生まれ変わりは、本当にあるの?(その4・完)[1/10更新]

スピリチュアル

その3から続く(リンク

●インドの聖者マハラジに聞いてみた。

質問者:生まれ変わりはあるのでしょうか?
聖者:私は、生まれたことも死んだこともない。そんなものは存在しない。

四太郎:私は、生まれたことも死んだこともないって、なにそれ?
八 雲:確かに、その話は理解が難しいですね。
四太郎:生まれたから、生きていて話をしているのに、生まれたことも死んだこともないって、おかしい!
八 雲:はい。そう思うのは間違いではありません。
四太郎:じゃ、あいつが間違っているの?
八 雲:いえ、彼は彼の立場で正しいことを言ってます。

インドの聖者マハラジは、スピリチュアルの聖者ではなく、ノンデュアリティの聖者です。
スピリチュアルとノンデュアリティは、同じジャンルの話のように思われることが多いのですが、本質はまったく異なります。
例えとしては、かなり強引ですが、ラーメンとカレーぐらいの違いです(笑)。どちらも食べ物で主食というジャンルですが、成り立ちは全く異なります。スピリチュアルとノンデュアリティもこれと同じように、一見すると同じカテゴリーのようで、実は全く異なるカテゴリーの話です。

スピリチュアルな回答を求めているのか、それともノンデュアリティの回答を求めているのかによって、正しい回答は全く異なります。

真実は一つではなく、複数あるということです。

四太郎:結局のところ、生まれ変わりはあるの?ないの?
八 雲:あるも正しいし、ないも正しいのです。
四太郎:だからぁ、どっちなの?
八 雲:どっちか一方のみが真実ということではなく、どちらも真実なんです。
例えば、円錐形のものがあったとして、それを真下から見るとどういう形に見える?

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四太郎:そりゃ丸いに決まってる。
八 雲:それを真横から見るとどういう形に見える?
四太郎:うーんと、三角かな。
八 雲:そのどちらが、真実ですか?
四太郎:そんなこと言ったって、真下から見たら丸、真横から見たら三角、そう見えるじゃん。
八 雲:どちらも、正しいですよね。
四太郎:うん、まぁ、そうだな。
八 雲:生まれ変わりが有るのか無いのかもこれと同じで、どちらも正しいのです。

一方から見れば、生まれ変わりは有り、もう一方から見れば、生まれ変わりは無いということです。

私たちは、肉体を持って生まれ、子供として物質世界で生きることを学んでいきます。この時は、物質世界のみを信じているので、生まれ変わりが存在するのかどうかは、判らないということになります。判らないから、無いと言い切ってしまう人も居たりします。

やがて、スピリチュアルな理解が始まり、私たちは全ては一つという源泉(ワンネス)から、多様な体験をする為に肉体を持って三次元世界に生れてきたことを理解します。この三次元世界では、肉体を持つことで多様な体験を何度も行うことが出来る仕組みとして、生まれ変わりが存在します。ですから、スピリチュアルな立場では、生まれ変わりは存在するということになります。

そして、私たちの根源である、ノンデュアリティでは、全ては一つであり、その本質は不変であるから、生まれ変わりは存在しないというのが答えになります。
マハラジが言った、「私は、生まれたことも死んだこともない。そんなものは存在しない。」というのは、全ては一つという立場で観る時は、このように観えるということを言っているのです。

つまり、物質世界とスピリチュアルとノンデュアリティのそれぞれの世界で、異なる答えが存在し、しかもそれらすべてが正しいということです。

つまり、「生まれ変わりはない」、「生まれ変わりはある」は、どちらも正しいのです。

あなたが、どの立場(物質、スピリチュアル、ノンデュアリティ)に立っているのかによって観える世界は異なるということです。

(完)

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