1999年からスピリチュアルの探究をずっと続けてきました。そして、2013年からノンデュアリティの探究に入り、一つの節目が来たように思えます。
スピリチュアルとノンデュアリティの先には何があるのでしょうか?
それは一つの循環が終了すると言えば良いのかもしれません。
スピリチュアルでは、この世界という現実を霊的に理解するという探究を行います。
ところが、ノンデュアリティでは、この世界は私たちが目覚めて夢を見ている状態であり、物質も思考も全ては、現実ではなく意識の中に映し出されたものであるという理解を探究します。
ノンデュアリティの本や記事を読んでいると、ノンデュアリティで目覚めたら全てはそこで終わってしまうようなことを書いている人や、動画などで語っている人がいます。
それは、進歩も学習も全ては夢でしかないかのような話になってきます。
確かにそれは、間違いではないのですが、何かが足りないような気がして、ずっと気になっていましたが、最近ようやく理解しました。
スピリチュアルとノンデュアリティの先にあるのは、
「人や神や神社、そして他の全ては、源泉からの現れであり、現実である。」
というスピリチュアルもノンデュアリティも物質的世界観も全てを含んだ理解です。
それは、物質的世界観から始まり、スピリチュアルやノンデュアリティという探究の循環がまた元の位置に戻って来るということです。
元の位置に戻ってはいるが、この世界に対する理解は、それこそ360度変わっている状態です。
禅宗の名言に、
悟る前は、薪を割り、水を運ぶ。
悟った後、薪を割り、水を運ぶ。
というものがありますが、まさに元の位置に戻って同じことをしている訳です。
現実的に薪を割って、水を運ぶということは変わりません。
私の場合は、薪と水が、スピリチュアルを語るということになります。ただし、ノンデュアリティ以前のスピリチュアルとノンデュアリティ以後のスピリチュアルでは、理解の方向性は逆になり、深さは深くなる。という違いがあります。
新しいスピリチュアルの誕生です。
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