この記事は、「災害はなぜ起きるのか」へのコメントの返信ですが、内容としては記事レベルになるので、こちらに掲載します。
> JAZZMANさん
この「災害はなぜ起きるか」という記事では、災害の存在理由を述べているので、カルマ論とは少し違った角度からの話として書いています。
「災害を予防する」という観点では、既に災害は存在するものとしての立場になりますが、それが幻想だとするなら、「存在しないものを予防する必要がない」ということになります。ただし、これは災害に会っても構わないということではありません。
このあたりは、話す相手のスピリチュアルの理解度合いによって、個別に異なる説明する必要があるので、ブログの記事で説明するのは難しいところがあります。
仮に、話し相手が、カルマ論を信じる理解度合いであるとすると、災害は幻想ではなく、現実です。このレベルでは、幻想であることを思い出すことは、意味がありません。
また、別の話し相手が、幻想であることを信じる理解度合いであるとすると、災害は幻想でしかありません。ただし、現実には存在するように見えますが、その現実ですら幻想ですから、事実上は存在しないということになります。
つまり、全ての人に一定の回答ということにはならず、相手の理解度合ごとに合わせて説明をする必要があります。
この理解度合いを、おおざっぱに書くとこんな感じです。
(a) 人間は、肉体的な存在である(分離)
(b) 人間は、オーラ体という目に見えないエネルギーを持っている
(c) 人間は、輪廻転生する。カルマが存在する。
(d) 人間は、元を辿れば一つの存在(統合)を頭で理解する
(e) 人間は、統合であるという意識と、分離であるという意識の間を行ったり来たりする
(f) 人間は、統合(ワンネス)であるという意識に常にとどまっている
私の場合は、まだ(e)段階です。このレベルになると、幻想と現実のギャップの間で悩むことが出てきます。一般論として、カルマを信じているのは、(c)段階になりますが、この理解度合の人には、カルマと言うものが現実であるということになります。
過去の聖人の言葉などを見ていると、スピリチュアルな真理を相手の理解度合に合わせて、分かりやすく説明していますが、そうなると誰にでも通用する文書として残すことは難しいため、仏陀やイエスは、聖典を残さなかったと考えています。
これは、私自身スピリチュアルカウンセリングしていても感じることがあります。そこで話される内容は、その時間のその人にとって最適化された言葉になるので、他の人に同じ言葉を話しても、効果的ではありません。
コメント
とても丁寧にお返事いただきましてありがとうございます。
先生の言葉を反芻させていただき、また自分自身につきまして省察させていただきたいと思います。
どうもありがとうございます。
JAZZMAN