時折、人間の未来は定まっているから、あきらめてその定まっている人生に従うべきだということを言う人がいます。
しかし、定まった人生の全て(1分、1時間、1日、1年)を見通している人を、私はいまだに知りません。
もし誰かの人生の全てを見通すという作業をするなら、それはその誰かの人生の1秒1秒を全て体験するということになります。そんなことをするなら、その人になり替わって生きるのと変わりありません。
つまり、見えているのは、相手の人生のポイント・ポイントであり、そのポイントの間の人生までは見通せていないということです。
人生を横軸にするなら、こんな感じです。
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人生のうち、横線が見ていない部分、丸が見えている部分になります。
この場合は、人生の通過点は見えているが、あくまでも通過点を見ているだけで、それが過去生も含めてどのような意味を持っているのかまでは見えていないということで、一般的な例でいえば、「東京駅10時発の電車に乗る」ということであって、その意味合いまでは見ていません。
先日の入院でのデジャヴなども、この丸の部分に相当します。つまり、入院するという事実だけが見えており、その意味合いは、その時にならないと見えてこない、もしくは見えた事実に関連するプロセスが終了するまでは見えてこないということです。
つまり、人生にどのような意味を与えるかということは、その人が決めることです。
ましや、横線の部分については、何も見ていないということは、決まっていないということになるので、自分自身の自由な部分であるということです。
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