前の記事(リンク)で、
『人は、あらかじめ自分の人生でどのような体験をするのかを決めてから生まれてくる』
ということを書いていますが、あらかじめ決めたことを判るのに必要なことは、考えることでもなければ、知識を持つことでもなければ、努力することでもありません。
ところが、現代人の多くは、「考える」、「知識を持つ」、「努力する」のこの三つに日々没頭しているのが現状です。確かに、この三つは役に立つことが多いので、これが不要であるということを言っているわけではありません。むしろこの三つを十分に使うことは日々の生活においては大切なことです。
日々の生活という結果を出すために必要な三つのことですが、自分の人生の道を知るためには、それらを使うことを止めて、自分自身の内なる感覚に意識を向けることが重要になります。
自分自身の意識の表面ではなく、もっと深く、さらに奥深くの、声なき声、意思なき意思、そこには、他人や世間の評価・世間体、人を弱く、無力にする世間の常識、といった事を超えた自分自身の道があります。
声なき声、意思なき意思を感じる時に、そこには自由なき自由があり、それを感じ取って実行するとき、自分自身に戻ることができます。
感じ取って実行するとき、とても自然体でいられます。自然体でいながら、自分自身を十分に出すことができます。
ところが、それを実行しようとするとき、他人や世間の評価・世間体、世間の常識、といった事を考えてしまい、自分自身で居られなくなり、やがて辞めてしまいます。そして、自分自身ではないまま日々の生活を過ごすことになります。これはスピリチュアルな目覚めとは逆の道です。
スピリチュアルな目覚めのためには、自分自身の、声なき声、意思なき意思、に従うことが必要です。
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