久しぶりに、大宮の氷川神社(ひかわじんじゃ)に行ってきました。
大宮の氷川神社は、武蔵国一宮であり、11月は七五三の季節でもあるので、多くの参拝者が訪れていました。
神社正面の三の鳥居をくぐり、神橋を渡ると、楼門があります。
楼門をくぐる前に、いつも楼門手前を右に曲がった先にある、こちらの神社に参拝します。
左が門客人神社(もんきゃくじんじんじゃ)、右が御嶽神社(みたけじんじゃ)になります。門客人神社は、関東から東北地方にある神社の境内にときどき見かけます。
公式には、門客人神社の祭神は、脚摩乳命・手摩乳命となっていますが、歴史を遡るとこの社は、荒脛巾神社(あらはばきじんじゃ)と呼ばれており、氷川神社にそもそも祀られていたのは、荒脛巾(アラハバキ)であり、後年になって大和王権が勢力を関東以北に伸ばしていった時に、大和王権の神話である古事記・日本書紀に記載されている神々に祀り替えさせられたものです。
アラハバキは、文献上には資料が乏しいため、歴史的にも研究があまり進んでいませんが、東北地方においてかつて良く祀られていた神であることが知られています。大和王権が東北地方に勢力を伸ばすに従い、祀り替えされたり、廃絶させられて行ったようです。
氷川神社の祭神を祀り替えした頃は、まだアラハバキを信仰している人も多い為廃絶するわけにも行かず、仕方なく境内で柵の外側の楼門の近い所に、祀り替えしたものと思われます。
このあたりは、富士山本宮の浅間大社の富士大神と浅間大神との関係や、諏訪大社のタケミナカタと諏訪の先宮神社の関係とよく似ていて、昔から神社が建っている場所は、そもそも場が良いから神社が建っているため、歴史を遡るとそこに様々な神が入れ替わり立ち代わりで祀られるというのは珍しい事ではありません。
楼門を入ると、舞殿があります。この種の建物は、神楽殿と呼ばれることが多いのですが、氷川神社では舞殿と呼ばれます。
拝殿と後方の本殿。
拝殿で参拝すると、場も良くいい神社であるのが良くわかります。
ただ、現在祀られている神である、スサノヲを感じることはできるのですが、南千住にある、すさのお神社(リンク)がはっきりとスサノヲを感じられるのに対して、大宮氷川神社ではそれほど明瞭ではなく、複雑な印象があります。
これは、そもそもアラハバキを祀っていた場所を、スサノヲに祀り替えしたという経緯があるからだと思われます。
拝殿に参拝した後は、池の中にある宗像神社(むなかた)にも参拝します。
池の中にあるので、弁天様と間違われることがありますが、弁天社の場合は、社殿が朱塗りになるのに対して、こちらは朱塗りではないので弁天ではなく、宗像三女神の社です。宗像大社(リンク)は、福岡県宗像市にある宗像三女神を祀った神社であり、九州の辺津宮、11Km沖合にある大島の中津宮(大島)、49Km沖合にある沖津宮(沖ノ島)の三社からなるものを、池の中にある一つの社で表現したものです。
帰りに、参道方面に向かうと、夕日が参道の木々に降り注いで、とてもきれいでした。
(公式ページ)
武蔵一宮 氷川神社
http://musashiichinomiya-hikawa.or.jp/
コメント