「現実は、創造され、そして、創造している」
人が体験することは、人が意識を向けたときに創造されています。つまり、意識を向けていないときには、創造されていません。
これは、古くから言われてきたことですが、物理学の量子力学においても、物理の前提として知られています。
では、意識を向けていない時にはどうなるのかというと、現実を創造するために必要なデータは、存在しているのですが、現実そのものは創造されていない状態です。
我々は、連続的な時間と変化しない物質という体験をする為にこの世界を創造しているので、それらを表現するためのデータは常に存在しています。しかし、(物質的、時間的)現実は人が意識を向けた瞬間に創造されています。
データをDVD、現実をテレビの映像として考えてみると、分かりやすいかと思います。DVDが棚に置いてある状態では、映像を映し出すためのデータは存在しているが、映像にはなっていません。DVDをプレイヤーにかけて、テレビをつけると映像が創りだされてきます。このデータをアカシックレコードと呼ぶこともあります。
データは、共通体験をするためのものですから、ある人がそのデータの内容である事実(神や、別の人が創りだした現実)を知っているかどうかとは関係なく存在します。
しかし、我々一人一人は、全て主観的な経験をしているということが真実です。
主観的なので、データという事実ということをどう捉えるのかは、自分が感じて決めることです。
よく、“知らなかった方が良かった”、という言い方がありますが、それが良いのかどうかは、主観的であるあなた自身が決めたことであり、主観というものを創りだしている、観念や価値観が変われば、その評価である良い・悪いも変化します。
つまり、主観というのは、自分自身で変えられるということです。
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