悟る為には常識を脇に置く

悟る為に必要なのは、常識(あるいは良識)をいったん脇に置くことです。

この世界は、分離意識が支配的な多くの人達によって、常識(あるいは良識)といったものが創られていますが、この常識というものが曲者です。

常識は、「人としてこうあるべき」といったことを教えるものだとされていますが、それは分離意識が支配的な場合にのみ言えることでしかありません。

全てが一つであるという、全一意識が支配的な場合における常識と、分離意識が支配的な場合における常識というのが、大きく異なったものになることがあります。

つまり、常識的な人になればなるほど、悟りは遠いものになってしまいます。

一般的に、常識というのは、自分という存在が、他人から見られ・評価されるときに、どうすれば良いのかを教えてくれます。つまり、自分と他人という分離した見方を自分の中心に置くということです。

悟りにおいては、自分という存在もなければ、他人という存在もなく、全ては一つであるということです。なので、そこに分離的な見方は適用できません。

しかし、これは非常識になれと言っているのではありません。
悟った後の常識が、悟る前の常識とはずいぶん異なったものになる、ということです。そのため、悟る為には、分離的な常識(あるいは良識)をいったん脇に置くことが必要になります。

繰り返しますが、これは非常識になることが必要であるということではありません。分離的な常識に囚われていることに気が付く必要があるということです。

テキストのコピーはできません。