今回の江戸五色不動巡りは、計画したわけでも、予定したわけでもなく、ただ自分自身の深い所から発する「動き」(声でも、叫びでも、魂でもなく)から起きていることです。
すなわち、これは自我が起こしているのではなく、源泉が起こしているのですが、その理由は、スピリチュアルな目覚めをさらに進めて行くことが必要であったからのようです。
スピリチュアルな目覚めを進めて行くのに、かつては神社を巡るということをしていて、多い年では年間に200-400社巡ったりしていましたが、最近は神社を巡ることもずいぶん少なくなってきました。
神社を巡るというのが、スピリチュアルな目覚めを進めて行く場合は、一時期沢山巡ることがありますが、目覚めが進み始めると、巡る数はだんだん少なくなってきます。
これを神道的に説明するなら、最初は「人と神」という、相対する関係なので、沢山巡ることで、神に対する理解が進んでいき、やがて神道で言うところの、人は神であるという、合一に進むことになります。そうなると自分の外側に神を求めるという事ではなくなって行くので、神社に行くことが少なくなってきます。
ここで、もし神社だけであれば、それほど進まなかったのだろうと思っています。ワンネスという悟りの世界は、全てを含むものですから、一方が良くて、一方は良くないという概念では分離のままになってしまいます。それ故に以前は、関東にある、キリスト教の教会を巡ったり(マリアトライアングル)、イスラムのモスクに行ったり(東京ジャーミー)、道教のお寺に行ったり(聖天宮)、タイのお寺に行ったり(ワット・パクナム)と色々行ってきました。
そして、昨年から今年に掛けては不動巡りという順番だったようで、昨年の関東三十六不動巡り、今年の江戸五色不動巡りと繋がっています。
不動巡りにおいては、二つの考え方があり、
(1)お不動様のお力を頂く
(2)自分自身が不動明王になる
となります。
この二つは一見似ているように見えますが、全く違う概念になります。
「お不動様のお力を頂く」というのは、人間とお不動様は、そもそも別の存在であるということが根底にあり、お不動様のお力を頂くことで、社会をより良く生き抜いていこうとするものです。
「自分自身が不動明王になる」というのは、比叡山などで行われている修行における考え方であり、不動明王は大日如来の化身であり、大日如来は、宇宙そのものであり、この宇宙は全てを含んでいるので、ワンネスであるということです。
人が宇宙と一つになると言われても、なかなか分りにくいところがあるので、人に近い化身である不動明王の方が、具体的なイメージがあるので、実践しやすくなります。自分自身が不動明王になるということは、全ての存在と一つであるということになり、これは悟りの世界になります。
私のお不動巡りは、この「自分自身が不動明王になる」の方になります。
江戸五色不動(その1)
https://en-light.net/archives/8196
江戸五色不動(その2)
https://en-light.net/archives/8294
江戸五色不動(その3)
https://en-light.net/archives/8366
目赤不動のシルバー川柳が面白い
https://en-light.net/archives/8219
江戸五色不動チューニングブレス
https://en-light.net/archives/8369
コメント
カウンセリングで東北三十六不動を巡る事を勧められて、お盆明けから巡礼を始め27番札所まで巡りました。雪が降る前に満願を迎える予定です。関東三十六不動の記事に書いてある通り自身の修行として札所の番号通りに巡礼しています。行く先々、各札所の住職初め住職の御家族の支援・有益な話を受けられ楽しく修行しています。
山形・秋田・青森の札所を巡っているときは何も祈願せず、ただ無心で般若心経と真言を唱えていました。岩手の札所から「この巡礼は何のためだ?」と考えるようになり、大日如来の化身である不動明王になると決心して祈願するようになりました。なぜかよくわかりませんが、自然とそのような考えになってきました。
満願を迎えた後の生活は今まで通り。だけれど他人に影響されず他人に良き影響を与えられるようになると思っています。お恵みを頂きたいと願うよりはスピリチュアルな視点で他人の人生に良き影響を与えられる方がとても楽しいですね。
各札所で「納め札」を納める時、その祈願内容は東北繁栄(復興ではありません)と書いています。満願を迎えたのち再び不動尊を巡るときは「世界繁栄」と書きます。叶わぬ望とは考えていません。今世界は悪い意味で二極化が進んでいると感じます。己の力を過少せず世界を変えられるようなりたいです。
> えいじ さん
不動巡りは、不動明王の力を頂くから始まって、やがて、自分が不動明王になる、そして、自分自身が不動明王であり、大日如来であり、宇宙そのものであるに変化していきます。