現在発売中の日経サイエンス2014年10月号の記事(リンク)に、
というのがあります。
人に自由意志があるのかどうかについては、スピリチュアルな見方においても、意見が分かれているのですが、現時点での私の見方としては、
『人は、あらかじめ自分の人生でどのような体験をするのかを決めてから生まれてくる』
となります。
ということは、どこに行くのか、どのような人と出会うのかもあらかじめ決めていることになります。
では自由意志は存在しないのかというと、本質的な意味において自由意志は存在しないが、自由意志と感じられる『選択肢』が存在し、選択可能であることが自由意志と感じられるということになります。この選択肢を「心のゆらぎ」と言う人もいます。
物質的存在である人間ですが、人間とは物質存在であることが真実だと思うのであれば、自由意志が存在しないということは、人生には意味がないようにすら思えてきます。
しかし、「物質的存在には実体がない(色即是空)」という真実を見極めたなら、物質的存在というのは、夢の中の世界と同じであり、私たちは共同幻想とも言える夢の中に存在しているということになります。そこでは、物質的存在であることより、夢の中で何を体験するのかということの方が重要になります。
私たちは、究極的には『ただ在る』という存在であり、何物も存在しないというのが究極的な自由であるということです。
そこから出発して、何物かが存在し、自由意思で選択できる/選択できないという体験を、人間という姿になることで行っているということです。
なので、深い意味においては、自由意志は存在しない。しかし、人間という物質的存在の体験においては、自由意志が存在するという見かけを創って、それを体験しているということになります。
スピリチュアルな目覚め/悟りの道においては、個人的な自由意志を放棄することが求められます。十分に放棄した時、深奥の『ただ在る』という究極的な自由に立ち戻れるようになるのです。
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