存在するのは「創造」への「感謝」

この世界は、「創造」によって形作られている。

「創造主」というのは、「創造」の人格的表現であって、創造の本質ではなく、存在するのは、「創造」であり、「創造」というのは、ただ創造が存在し、それは形もなく、存在する理由もなく、意図もなく、ただ創造だけが存在する。

この「創造」というのは、想像を超えたものであり、定義されるものではなく、全ての根源として存在する。(なので、想像しても理解できず、体験するしか理解の方法はない)

そして、この「創造」への「感謝」が、ただ存在する。

たとえとして言うなら、「水」への感謝、「大自然」への感謝と良く似ている、「水」も「大自然」も人格的な存在ではないが、この地球において人が生まれ、活動するための根本であり、それなくしては、人は存在しない。そして、そこには感謝のみがある。

日本やアジア、アメリカの原住民などにおいて見られる、根源的な自然信仰というのは、この創造への感謝を、より身近なものとして表現しているものであり、もっとも根源的な信仰であるということです。

そして、自然への感謝は、根本である「創造」への感謝とつながります。

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