それぞれの311

東日本大震災

あと数日で、東日本大震災から10年になります。
大地震・津波・原発事故が起きて、時代が大きく変わって行きました。
非常に大きな変化だったので、長らく区切りがついていませんでした。
10年経ち、自分の中でひと区切りつけるために、震災当日までの日々を書いておきたいと思います。

2010年12月30日 三鷹に行くはずが伊勢神宮
振り返ると、この時に予兆は始まっていました。
当時は、新宿区民だったので、近場の温泉に出かけようということで三鷹の温泉(新鷹の湯)に行く為に準備して出かけたら、路上で伊勢神宮に呼ばれて荷物もそのまま、途中雪に遭遇しながら伊勢神宮まで行ってきました。

その時は、なぜ伊勢神宮に呼ばれたのか分からなかったのですが、この後に起きることを振り返ってみれば、被害を少しでも少なくするために事前に行くのは必然だし、行先はやはり日本の総社の伊勢神宮になります。

またこの頃から、当時借りていた神楽坂のレンタルルームの人たちが「なんだか分からないけど、ざわざわする」ということを言い始めた頃です。

2011年1月25日 諏訪大社に再び参拝
年末に伊勢神宮を参拝した帰り道で諏訪大社にも参拝したのに、ひと月と間を開けずに諏訪大社に再び呼ばれて参拝。

ひと月に二度も参拝するのは、記憶にある限りでは初めてのことです。
また、4月11日に最大余震を避けるように、呼ばれて長野に一泊したこととリンクしています。

その後も、「ざわざわする」感覚はあるが、それが何を意味しているか捉えきれない状態が続く。

2011年2月22日 連続・遠隔ヒーリングセッション
「何かやらなければ」という強い感覚があるので、初めての長期遠隔ヒーリングセッションを始める。
2月18日(金)満月から3月20日(日)満月までの約一カ月間、毎日遠隔ヒーリングを行うという異例のセッション。
間にちょうど大震災が入る、2月の満月から3月の満月までの期間です。

2011年2月~3月 連続・遠隔ヒーリングセッション
https://en-light.net/archives/2426

スマートフォンだと分かりにくいかと思いますが、写真は遠隔ヒーリングを行っていた当時のアパートの窓から見たオリオン(右)とシリウス(左下)。

2011年3月3日 LEDフラッシュライトを購入
それまで、白熱電球のフラッシュライト(懐中電灯)は持っていましたが、LED方式の方が格段に明るいので購入しました。
その後の関東地域の計画停電を見越していたようなタイミングでの購入でした。

結果的には新宿区は計画停電の範囲から外れたので、停電には遭遇しませんでした。

2011年3月9日 血尿
9日の夕方、突然の血尿。身体的な原因らしいものが見当たらないので、しばらく様子を見ていましたが、血尿は震災と原発の水素爆発に合わせたように、3月15日頃まで続きます。
これから起きる惨事と身体がシンクロして、血を流していました。

この写真を掲載するかどうか悩みましたが、事実を記録するという意味で掲載することにしました。最初はもっと赤かったのですが、夜になってすこし落ち着いたのか薄い赤になっていた時の写真です。

2011年3月11日 松原スターボウル・運泉館でカウンセリング中に震災に遭遇
この日は、東武伊勢崎線 松原団地駅から徒歩5分のところにある松原スターボウルにある運泉館に午後から出演(運泉館では、ブースに出ることを出演と言う)していました。

一人目が終わり、二人目のクライアントさんと話をしていた時。突然、建物が揺れ始めます。

最初は少し経ったら収まるかと思っていたのですが、どんどん揺れが大きくなって行くので、カウンセリングを中断して屋外に避難しました。
他の占い師さんも最初は室内にしばらくいたのですが、みんな屋外に避難しました。

関東での地震波のグラフを見ても、最初は小さな地震から始まり、30秒ほど揺れて最大震度に到達しています。

その後も余震が続くため、松原スターボウルは閉鎖となり、運泉館も閉鎖となりました。

自宅に戻るために、松原団地駅に戻ると、運航再開の見通しは立たないとのこと。
シャッターも閉められて入る事すらできません。

となると、タクシーぐらいしか交通手段のない場所なので、ひとまずコンビニでタクシー代の現金を下ろします。

タクシー乗り場に戻ってみると、人が溢れています。
東武線が止まってしまったので、その人たちがタクシー乗り場に殺到してます。

※これ以降の写真は2021年3月に10年ぶりに再訪したときのもの

いったい何時になったら乗れるのか見当もつかない。気温は下がってきて寒くなってきて暖を取れる場所もない。
それでも、仕方なく列に並んでいました。

一台のタクシーが入ってくると、いっせいに目線がタクシーに集中しているのがわかります。
そうして、何台かが入ってきた後に・・・

一台のタクシーが入ってきて、「東京に帰る人はいませんか?」と呼び掛けます。
どうやら、東京からこの近くまで客を運んできたタクシーが東京に戻るので、乗客を探している様子。
本来タクシーは営業エリアが指定されており、指定エリア外で乗客を乗せるのは違反になるのだけど、タクシーの運転手さんが言うところ「そんなこと言ってる場合じゃない」ということなので、乗車させてもらうことにしました。また、もう一人東京方面に戻る人が居たので、二人で乗車しました。

もう一人の人は、(記憶が曖昧ですが)赤羽方面ということなので、そちら方面経由で自宅に向かいます。

道路が渋滞しているので、抜け道を通って進んでいくと、道には徒歩で帰宅している人の長い列が続く。

赤羽方面で同乗している人を下ろすと、その後は自宅方面に。
普通に車で走れば1時間程度の距離ですが、赤羽方面経由で帰ってきたこともあり、3時間ぐらい掛かって自宅に戻りました。

自宅はかなり揺れたようで、色々なものが散乱していましたが、幸い建物に問題はなく、室内も散乱したものを戻すだけで大丈夫でした。
都内は震度5弱から5強の震度だったようです。

私の場合は、幸いにもタクシーで帰宅できましたが、首都圏でも沢山の方が徒歩で帰宅したり、帰宅難民化して色々なご苦労があったと思います。

東北や関東などの地域において震災被害に遭われた方に、心よりお見舞い申し上げます。

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