聖なる帰還

◆悟り・ノンデュアリティ

エゴの動因は、(1)気持ち良くなること と (2)存続 の二つです。

今回は、エゴの動因である「気持ち良くなること」について:

気持ち良くなるというのは、嬉しいとか美味しいとか幸せを感じるといったことですが、これらが人間の深いところからのものと、エゴがそうさせているのとは、非常に良く似ています。なので、深く見ておかないと、気持ちい良いことを追及することは、エゴがそのまま居座ってしまうことになりかねません。

また、気持ち良くなるというのは、表面的な現象としてはまったく真逆のことがあります。自虐的というのは、一見すると気持ち良くない方向に進んでいるかのように思えますが、自虐的になるのは、自分を痛めつけることで、社会の中での居場所を確保したり、それ以上悪いことが起きなくなるという安心という気持ち良さを求めていることもあります。

宗教的な方法で行われている修行が厳しいものであるというのは、気持ち良くなるということの反対に向かって進むことがエゴを消失させるためには必要であるということから来ています。

私の7月の修行期間においても、秩父霊場・奥多摩御岳山・関東不動霊場を、わざわざ夏の暑い時期に巡るというのは、気持ちいいこととは正反対のことです。楽しく巡るのであれば、秋の紅葉シーズンにでも巡るほうが断然いいわけです。しかし、その時期に巡るというのは、自分の自我(エゴ)ではなく、もっと深い部分の声がその時期に巡る必要があると言っていたから、仕事を休んでまでして行って来たわけです。

エゴを消失させるために必要な行為は、楽ではなく、楽しいことでもありません。そして、その結果がすぐに表れるという保障もありません。しかし深い部分の声がそれを求めているから行くのです。

エゴを消失させていくことは、元居た世界に戻ることであり、私はそれを「聖なる帰還」と呼んでいます。

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