時々、こう言う人がいます。
「悟ると人間らしくなくなるように思えます」
全くの勘違いです。
二度の千日回峰行を満行した、酒井雄哉さんは生前、年に何回かさいたま市にある長寿庵に来られて祈祷を行われており、私も何度か参列させて頂きました。
実際に本人を見ると、とても厳しい修行を二度もされているようには見えないくらい自然体で、とても魅力的な方です。他にも、ダライラマ猊下、アンマなどの方々も会場などでお目に掛かっていますが、みなさんとても自然体で魅力的です。
「悟ると人間らしくなくなるように思えます」というのは、あなたのエゴが言っているのであって、本質ではありません。悟るというのは、エゴの消滅を意味しますから、エゴにとっては悟るということは、避けなければならない事です。それ故にそのような思いをエゴが創り出していくことになります。
悟るということは、視野が広くなるということです。
この世界は物質が本質であるという"物質的世界観"を持った物質的人生と、物質を超えた先も含めてこの世界を見る"エネルギー的世界観"のスピリチュアルな人生では、物質的人生より、スピリチュアルな人生の方が視野が広くなり、"全てが一つ"という悟りの人生では、さらに視野が広くなります。
悟るということは、この世界は全てが一つであるということも、スピリチュアルな事柄も、そして物質的な事も含めた広い視野で生きて行くということです。
それ故に、禅寺では、書や茶やお庭など、物質的なことを扱う文化もあります。
ブッダやイエスが、相手に応じて様々な教えを伝えることが出来たのは、この広い視野を持っていたからです。
悟りを教える先生の場合、参加者を導く為に、あえて「全てが一つ」ということに集中的に話すという教え方をする人がいます。そういう場合、上記の三つのボックスの一番上の部分のみを話すために、話している内容を断片的に聞いたり読んだりすると、人間らしくない様に感じられるという誤解が生まれることがあります。
冒頭に書いた「悟ると人間らしくなくなるように思えます」というのは、そういった断片的な情報を見ている時に起きる勘違いです。
コメント
アンマさん、来日の時に何度か会場でお会いしました。
こんな言い方をしたら恐れ多いですが、
人的な雑味がなく、母性に溢れた方ながら、かわいらしくてとてもチャーミングな印象を受けました。
よくわかっているわけではありませんが覚者と言われる方々はそうなのかもしれないと改めて感じました。