私とは、「肉体と心を持った一人の人間である」ということを疑う人はまれです。
普通は、私は一人の人間であるということが、あまりにも当然の事であると思えるため、それを疑うことすらありません。
しかし、それは幻想なのです。
あなたが、テーブルの上にあるコーヒーカップを見ているとします。
そのコーヒーカップに、実体はあるのでしょうか?
あなたが見ているのは、テーブルの上にあるコーヒーカップではなく、目の網膜に写った映像です。
あなたが、ただそれを見ているだけの時、あなたにとっては映像が全てです。
あなたが認識できるのは、映像が全てです。それだけが頼りです。
あなたが写真を見ているとき、その写真に写ったコーヒーカップは映像であり、実際に写真の上にコーヒーカップが実在するわけではありません。
あなたが、テーブルの上にあるコーヒーカップを見ているとき、映像だけが存在します。
写真に写っているコーヒーカップを見るのと、何の違いがあるでしょうか?
本質的には、何の違いもありません。
写真に写っているコーヒーカップと、
目の網膜に写っているコーヒーカップとの間に、
何の違いもありません。
あなたが観ているのは、映像です。
ですから、コーヒーカップが実在するということを証明することはできません。
それは、実在ではないのです。
コメント
たとえばそのコーヒーカップで実際飲んだ時は、実在するのですか?それでも実在するとは言えないのでしょうか?
> hiromi さん
ここで説明しているのは、視覚というものが、どのようなものであるかということです。
哲学の世界では、五感の一つ一つを丹念に検証して行くと、いずれも実在性を証明できないということが語られています。
つまり、私たちは脳内で五感を組み合わせることで、モノや人が実在であると思い込んでいるのが真実なのです。