コーヒーカップは存在しない?

◆悟り・ノンデュアリティ

私とは、「肉体と心を持った一人の人間である」ということを疑う人はまれです。

普通は、私は一人の人間であるということが、あまりにも当然の事であると思えるため、それを疑うことすらありません。

しかし、それは幻想なのです。

あなたが、テーブルの上にあるコーヒーカップを見ているとします。
そのコーヒーカップに、実体はあるのでしょうか?
あなたが見ているのは、テーブルの上にあるコーヒーカップではなく、目の網膜に写った映像です。

あなたが、ただそれを見ているだけの時、あなたにとっては映像が全てです。

あなたが認識できるのは、映像が全てです。それだけが頼りです。

あなたが写真を見ているとき、その写真に写ったコーヒーカップは映像であり、実際に写真の上にコーヒーカップが実在するわけではありません。

あなたが、テーブルの上にあるコーヒーカップを見ているとき、映像だけが存在します。
写真に写っているコーヒーカップを見るのと、何の違いがあるでしょうか?

本質的には、何の違いもありません。

写真に写っているコーヒーカップと、
目の網膜に写っているコーヒーカップとの間に、
何の違いもありません。

あなたが観ているのは、映像です。

ですから、コーヒーカップが実在するということを証明することはできません。
それは、実在ではないのです。

コメント

  1. hiromi より:

    たとえばそのコーヒーカップで実際飲んだ時は、実在するのですか?それでも実在するとは言えないのでしょうか?

  2. 八雲 より:

    > hiromi さん

    ここで説明しているのは、視覚というものが、どのようなものであるかということです。

    哲学の世界では、五感の一つ一つを丹念に検証して行くと、いずれも実在性を証明できないということが語られています。

    ハイラスとフィロナスの三つの対話
    昨日届いたところなので、読むのはこれからですが、古閑さんのブログの「グレッグ・グッドの物体の消滅」(リンク)で紹介されているので、そちらの文章を引用します。バークリーとはどんな人だろうか? 森の中の木についての、昔からある哲学的な問いのこと...

    つまり、私たちは脳内で五感を組み合わせることで、モノや人が実在であると思い込んでいるのが真実なのです。

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