私が自由になる、私から自由になる

◆悟り・ノンデュアリティ

◆スピリチュアルな事を学ぶというのは、私が自由になることです

子供は、様々な分別(やって良い事、悪い事)や区別(私とあなた、私と私以外)を覚えることで、子供は社会の中の居場所を得ることになります。

しかし、大人になって時が経つと、この分別や区別が自分らしく生きることを困難にすることが良くあります。スピリチュアルなことを学ぶというのは、自分らしく生きられない原因である分別や区別から自由になるということです。

また、子供の頃に自分という存在が価値のない人であるという、価値観を持つことがあります。自分には、能力がない。自分には生きる価値がない。自分には何も能力がない。などなど。

あなたという存在は、「価値がある存在である」という真実を知ることがスピリチュアルを学ぶという意味です。
そうして、本当は価値がある存在であることを知ることで、自分自身が受け取ってしまった無価値観である、「私は無力である」「私は誰にも愛されない」「私が生きることは意味がない」「私は認められない」といった、誤解を手放すということで、本来の自由を取り戻すことです。

◆ノンデュアリティの道を進むということは、私から自由になるということです

私とは、「肉体と心を持った一人の人間である」ということを疑う人はまれです。
普通は、私は一人の人間であるということが、あまりにも当然の事であると思えるため、それを疑うことすらありません。

しかし、それは幻想なのです。
私とは「空(くう)」なのです。

指差し実験において、視点を自分以外の何かに向けた時は、私という存在が実体を持っているかのように思えます。
ところが、指を自分に向けて視点を自分に向けた時に、観ることが出来るのは、私とは「空」であるということです。

つまり、私とは「肉体と心を持った一人の人間である」ではなく「空」であるということを体験してしまいます。
私とは「肉体と心を持った一人の人間である」ではなく「空」であるということを体験するのは、誰でも出来ることです。

それは、「空」こそが源であるからです。空」は、ただ一つのものです。そこに、私という分離された個人は存在しません。

私という個人が存在しないということを、疑わず・常に認識し・それ以外の分離というものを想起しない、という本来の立ち位置に立った時、私という個人からの解放が起きます。

私から自由になるということです。

「空」には、時間がありません。だから変化もありません。そこにあるのは永遠の命そして甘美な幸福です。
変化が現実の様に見えるのは、「空」の中に変化という映像が投影され、それを見ているからであり、それは現実ではなく幻想でしかありません。あるのは永遠の「空」だけです。

私から自由になることは、平安であり、何かを手に入れることで得られる幸福ではなく、何の理由もなく、そして失うこともない幸福。甘美な体験です。

そして、この理解に至ります。

私は、愛から出来ています。
私は、価値ある存在です。

そして、本当の自由そのものになります。

補足説明:
「空」は源泉・神・真我など色々な名前で表現されます。一定の名前が存在しないのは、「空」には境界がなく、ただ一つであるからです。
名前を付けるためには、名前を付ける人と、名前を付けられる対象という分離が存在します。
「空」は、ただ一つであるので、そもそも名前を付ける人もいなければ、名前を付けられる対象も存在しません。それゆえに、それは名無しの「沈黙」です。
ただ、それを誰かに伝える時に、「沈黙」では伝えることが難しいため、状況や説明の流れに応じて、様々な名前を使い分けることになります。

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