他力本願と言うと、「人まかせ、他人に依存する、成り行き任せ」といった意味で取られることが多いですが、本来はノンデュアリティ(記事リンク)の言葉であり、私という存在が悟ることはないので、私以外の何物かに依らなければ悟ることはないという意味です。
自分の意思で悟ることはできません。
自分の努力で悟ることもできません。
悟るというのは、全体性に戻るということであり、そこには悟った私がいないということです。
勘違いされることが多いのですが、努力して悟ることはできません。
なぜなら、そこには努力する私が居るからです。
努力する私が無くなった時に、悟りが起きるのです。
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